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岡部 伸 消えたヤルタ密約緊急電: 情報士官・小野寺信の孤独な戦い [日記(2013)]

消えたヤルタ密約緊急電: 情報士官・小野寺信の孤独な戦い (新潮選書)
 児島襄『満州帝国』で、スェーデンの駐在武官・小野寺信はヤルタ会談の密約(ドイツ敗戦後3ヶ月以内に対日参戦)を参謀本部に打電したが、参謀本部はこれを握りつぶしたという話が出てきます。この小野寺信の諜報活動が面白そうなので読んでみました。
 本書は、1935年のバルト三国から始まり、上海を挟んで1945年の終戦まで、ストックホルム駐在武官・小野寺の諜報活動を扱っています。

 1)ヤルタ密約情報に至る小野寺の諜報ネットワーク
 2)小野寺が参謀本部に送ったこの情報が日本の政策決定に反映されなかった謎

 2部仕立てで、ドイツとソ連という強国に挟まれた緩衝地帯、北欧を舞台にくり広げられ諜報戦は、へたなスパイ小説より面白いです。歴史にifはありませんが、もしこの電報が政府上層部に届いていたなら、沖縄戦で失われた20万の犠牲や広島、長崎の原爆は無かったかもしれません。
 個人的には、参謀本部や時の内閣の現実認識を欠いた独善より、敵の敵は味方というこの情報戦の方がはるかに面白かったです。

 前半は、何故スェーデン、ストックホルムの武官が、ヤルタ会談の密約情報を知り得たのかという、諜報(インテリジェンス)の話です。キーワードは“ポーランド”。

 話は日露戦争(1904-5)までさかのぼります。ポーランドは18世紀から20世紀にかけて大国であるドイツ、ロシアに何度も国土を分割されています。軍事力では勝ちようのない大国を相手に小国が生き残るために、ポーランドでは、いち早く情報を掴み対処するという「諜報」が発達します。
 その大国ロシアに東洋の小国が噛み付いた日露戦争は、ポーランドにとってはロシアの支配が崩れる好機と映ったわけです。折から、スェーデンの武官であった明石元二郎大佐が、革命勢力に資金提供するなどしてロシア革命を裏から支援する謀略活動を行なっています。敵の敵は味方と、ポーランドはこの明石大佐の謀略に協力し、明石はポーランドの諜報活動に資金援助をしています。これを機に、暗号解読技術を中心とした日本とポーランドの交流が始まります。

 日露戦争では、多くのロシア人が捕虜となって日本国内に移送されましたが、日本はこの捕虜を優遇した事は有名な話しです(例えば松山の捕虜収容所)。実はこの捕虜の多くが、最前線に投入されたロシア支配下のポーランド兵であり、彼らによって日本と日本人に対する評価が高まり、ロシア革命によって発生したポーランド孤児400名をシベリアから救出するなど、ポーランドと日本は密接な友好関係を築いています。

 そして時代が下り、1935年~1945、ラトビア・リガ、スェーデン・ストックホルムを舞台に、この亡命ポーランド政府の諜報機関と小野寺をはじめとする陸軍駐在武官による対ソ、対独諜報戦が展開されます。

 小野寺の諜報活動のハイライトは、バルバロッサ作戦の開始(1941)とヤルタ会談密約情報(1945)のスクープです。日本人がヨーロッパでウロチョロできるわけでもなく、小野寺はバルト三国、ポーランドの諜報機関と連携してこれらの情報を入手したわけです。独ソに分割されたポーランドはロンドンに亡命政府を置きますから連合国側であり、スェーデンは中立国とは言えイギリスとの関係が深い国です。ところがポーランドの諜報機関は連合国の機密情報を小野寺に流し、スェーデンは小野寺の諜報活動を知っていながら妨害せず、大戦末期には和平の仲介をとろうとさえしています。
 ポーランドの諜報機関と小野寺の連携の背景には、日露戦争以降の日波友好の歴史があるというわけです。

 小野寺は1935年にバルト三国の武官となり、参謀本部、上海駐在を経て1940年に武官としてスェーデンに赴任します。独ソのポーランド分割は1939年ですから、この時ポーランドという国は存在しません(ロンドンに亡命政府)。中立国の首都ストックホルムで、ポーランド軍情報将校ミハイル・リビコフスキ(ペーター・イワノフ)と出会います。

 リビコフスキは、ポーランド軍が解体されたのち、杉原千畝の発行した満州国のパスポートを持ってヨーロッパでの諜報に暗躍し、ストックホルムに戻り、日本の駐在武官室通訳として日本・ポーランド諜報網にリンクします。
 リビコフスキーは元ポーランドの情報将校として対ロシア諜報を行って情報をロンドンの亡命政府に送り、その一部が日本の武官・小野寺にももたらされるというわけです。
 
 杉原千畝が登場するとは思ってもみませんでした。外務省(参謀本部)は、ドイツのソ連侵攻の情報を掴むために、日本人がひとりもいないカウナスに領事館を設け、杉原を送り込んだのです。杉原もまた「命のビザ」というヒューマニストの顔だけではなく、「諜報」という顔を持っていたいうのですから、驚きます(有名な話みたいです)。
 日本の諜報網にリビコフスキが組み込まれていたのか、ポーランドの諜報網に小野寺や杉原が組み込まれていたのか、どちらにしろ情報をギブ&テイクする諜報の世界です。そして、リビコフスキによってヤルタ会談密約情報が小野寺にもたらされます。

 日本のスパイと亡命ポーランド政府のスパイが、バルト三国で、ストックホルムで手を組んで諜報活動をするわけです。日独伊三国同盟を結んでいるドイツの手の内を読み、日ソ中立条約の相手国をスパイし、連合国の情報を盗むのですから、諜報の世界というのは面白いです。
 複雑でいまひとつ理解できない部分もあり、もう少し突っ込んでみます。

  半藤一利『日本のいちばん長い日』に、天皇がポツダム宣言受諾の聖断を下すシーンが描かれています。ポツダム宣言は日本の無条件降伏を謳っていますから、日本の天皇制(国体)の存続が危ぶまれ、政府は宣言受諾に逡巡します。その時天皇は、国体が存続することに「確証」を持っていることを披露し、聖断を下します。半藤本に「確証」の根拠が示されていないので、疑問に思っていましたが、『消えたヤルタ密約緊急電』にそれらしき答えが見つかりました。
 小野寺は、スェーデン王室に働きかけて終戦工作を行っています。時の国王グスタフ5世から天皇に親書が送られているようで、天皇の「確証」はこの辺りにもあるのかもしれません。 

 kindle本があり、キンドルで読書をするという体験もできました。

タグ:読書
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