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新田次郎 劔岳〈点の記〉 [日記(2017)]

新装版 劒岳 ―点の記 (文春文庫)  この物語が始まる明治39年当時、劔岳は未踏峰であり日本地図唯一の空白地帯。この穴を埋めるため、劔岳に三角点を設ける陸軍参謀本部・陸地測量部の苦難の物語です。


 立山連邦の一峰である劔岳は、弘法大師が草鞋三千足を使っても登れなかったという伝説を持ち、山岳信仰によって「登れない山、登ってはならない山、針の山」と呼ばれています。この「禁断の山」に測量官・柴崎芳太郎と案内人・宇治長次郎が挑みます。

 内務省の一部局であった陸地測量部(現在の国土地理院(国交省)の前身)は明治22年に陸軍参謀本部に移され、管理職は軍人(武官)、技術職(測量士)は文官という組織です。


 測量部と劔岳初登頂を競う、日本山岳会が登場します。この物語の前年明治38年に結成された日本山岳会もまた、唯一の未踏峰・劔岳の初登頂を目指します。明治40年の夏、劔岳初登頂を狙って測量部と山岳会が凌ぎを削る熱い夏だったわけです。


 地図を作るために劔岳に登る柴崎にとって、陸軍の面子のために危険を犯すことは本末転倒ですが、初登頂を逃せば組織の中で生き残ってはいけない。長次郎は、劔岳に測量部を案内するきとは地元の禁忌に触れることになります。

 劔岳を「登ってはならない山」とする立山山岳信仰、陸軍の威信にかけて初登頂を目論む陸地測量部、成果の欲しい日本山岳会、この三大噺の狭間で測量士・柴崎と地元の案内人・長次郎のドラマが成立します。


 三角点を設定するには、高さ4.6mの覘標台を設けその下に三角点の標石を埋めるとう作業がともないます。測量士は、三角点設置、観測の機材を背負いルートを開きながら登るわけです。ルートが整備され難所には鎖や梯子が整備された「道」を登る現在の登山とは比較になりません。しかも現在でも難易度の高い劔岳を登るわけです。日本の山の多くは、こうした測量士によって初登頂がなされルートが開かれたということも頷けます。

 山を開いたのは測量士だけではありません。山岳信仰に支えられた行者の集団です。本書でもこの行者が重要な役割を演じます。立山の行者の残した「(劔岳は)雪を背負って登り雪を背負って帰れ」という言葉の謎を解き、雪渓を登って初登頂に成功します。

 頂上で、彼等は錆び付いた錫杖の頭と剱を発見します。劔岳は奈良時代に行者によってすでに開かれていたことになります。柴崎隊が初登頂でなかったことが分かると参謀本部の熱は冷めます。急峻な劔岳に三等三角点の機材を運び上げることはできず四等三角点が設置され、測量部の正式記録にも記載されません。柴崎等の登頂を一番評価したのは、皮肉にも日本山岳会の小島烏水だったのです。小島烏水だけはなく、立山温泉に下りた柴崎には、剱岳の初登頂を成功させた柴崎を「シバアサマ」と称える湯治客が待っていたというオチがつきます。


 木村大作の監督撮影で映画にもなっています。映画は立山の山岳映像が売りですが、小説の方は測量士・柴崎と案内人・長次郎の人間ドラマです。地図と首っ引きで読むと面白いです。

タグ:読書
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コメント 2

Lee

テレビでやっていた映画を録画したきり長いので見ていませんでしたが(確か3〜4時間)、この記事を読んで見たくなりました。夏など涼しげで良さそうです(笑)
by Lee (2017-05-27 11:43) 

べっちゃん

監督がカメラマンとして有名な木村大作ですから、山の映像は綺麗です。
by べっちゃん (2017-06-02 07:28) 

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