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又吉直樹 火花 [日記(2017)]

火花 (文春文庫)  今更ながら『火花』を読みました。

 話としては、売れない漫才師の徳永が、これも売れない漫才師・神谷の奇矯な行動やその「漫才哲学」を描いたものです。
 大阪出身の作家ですから、織田作のような?関西弁を多用した文体かと思ったのですが、会話文はベタベタの関西弁ですが地の文章は端正な書き言葉。舞台が吉祥寺、上石神井、渋谷ですからそうなるのでしょうか、意外でした。
 
 徳永は営業で神谷に出会い、その特異な芸風に惹かれ弟子入りします。この小説の基本的な構造は、冒頭の神谷の言葉でほぼ明らかになっています。
 
漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん
 
 神谷は「本物の阿呆」であり、徳永は「自分は真っ当であると信じている阿呆」ということになるんでしょうか?。例えば、公園で出会った赤ん坊をあやすシーンです。神谷は、漫才ネタの「蝿川柳」で赤ん坊を泣き止ませようとします。
僕は蝿きみはコウロギあれは海、
まわりのウケを狙ったギャグではなく、本気で「蝿川柳」で赤ん坊を笑わせようというのですが、こんな人いるんですかねぇ。神谷は次々に「蝿川柳」を繰り出し赤ん坊は笑うどころかよけいに泣き、お母さんは引いてしまうという結果に終わります。ついで徳永が挑戦 →「いないいないバァ」。
 この「蝿川柳」と「いないいないバァ」の落差が神谷と徳永の差です。神谷が自分の漫才哲学を推し進めて行くと何処にたどり着くのか?、その時徳永は何処にいるのか?。
 
 徳永と相方・山下の漫才コンビ”スパークス”=『火花』は次第に売れ出し、徳永は高円寺の家賃二万五千円の風呂無しアパートから、下北沢の家賃十一万のマンションに引っ越します。それなりの成功を収めたということでしょう。
 ブームが去り?、徳永の仕事も徐々に減ってゆきます。そんな折、相方・山下の恋人が妊娠し、山下は生まれてくる子供のために徳永にコンビ解消を持ちかけます。徳永にとって、中学生の頃に出会いコンビを組んできた山下こそが漫才の総てであり、スパークスは解散し漫才を辞めた徳永は下北沢の不動産屋で働くことになります。これが徳永のたどり着いた場所です。そこで徳永はこう考えます、
 
一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い月日をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。
 
えらく真っ当な感慨です。又吉が描いたのは、人生が輝いた束の間の「火花」=「青春」だったと言うわけです。
 では神谷は何処にたどり着いたのか、神谷が行き着いた「笑い(漫才)」の地平がこの小説のオチです。徳永の青春は一瞬輝き終わりますが、輝くこと信じて終われない人間もいます。言い換えれば、「笑い」という神に憑かれた男の悲劇でしょう。「漫才」という文言を「革命」と置き換えても「国家」と置き換えても成り立つわけです。とするなら『火花』は、ひどく真っ当な小説だと思われます。

タグ:読書
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