So-net無料ブログ作成

絵日記 ヌカ漬けに挑戦 [日記(2017)]

DSC_0174.JPG DSC_0175.JPG
 NHKきょうの料理でやっていたので試してみました。出演されていたのは、奥村彪生さんです。レシピは、
1.ぬか:500g
2.粗塩:50g
3.水:カップ2 1/2
4.米こうじ:50g
5.湯:60cc(米こうじ用)
6.コンブ
7.削り節
8.赤唐辛子
9.ニンニク
 これをテキトーに混ぜて、冷蔵庫の余り物の野菜を「捨て漬け」。冷蔵庫に保管すると2~3週間で発酵が始まるそうです。ヌカ床は毎日かき混ぜる必要があるらしいですが、これは3~4日に1回でいいそうです。茄子は順調に収穫出来ているし、キューリも植えたので、うまく行けば自家製の野菜で漬物が食べれそうです。

 野菜の漬物はそれほど食べたいと思いませんが、イワシや豚バラ肉の漬物ができるそうで、これが酒のツマミにぴったり。コッチが狙いです。
【追記1】
DSC_0196.JPG なかなかイケます。
【追記2】
DSC_0209.JPG DSC_0212.JPG
 豚バラ肉を漬けてみました。豚肉をキッチンペーパーで包み、ぬか床のヌカでサンドウィッチして冷蔵庫で一晩。フライパンで焼くだけです。酒のアテに最適、ご飯にも合います。
【追記3】
DSC_0214.JPG DSC_0213.JPG
 サンマを漬けてみました。やり方は豚バラと一緒。スーパーの袋に包んで、上から押さえて糠をまんべんなく広げればいいだけです。こちらはオリーブ油で焼きます。これもビールのアテに良さそう。アジ、イワシなど青身の魚なら何でもOKのようです。
【追記4】
DSC_0255.JPG
 アジを漬けてみました。クセがなくてこれが一番美味しいです。

タグ:絵日記
nice!(6)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

お手軽、簡単、読書感想文 夏目漱石 こころ [日記(2017)]

こころ (新潮文庫) こころ  夏休みも残り少なくなり、この時期には当blogの「読書感想文」へのアクセスが増えます。少し時期遅れですが、久々に、「お手軽、簡単、読書感想文」を一編加えます。取り上げるのは、読書感想文の定番?、夏目漱石の「こころ」。多くの高校の教科書に採用された、日本文学の名作です。


 『こころ』を、文豪・夏目漱石の文学作品と思って読むのではなく、謎解き、ミステリと考えると、面白く読めます。青空文庫で読めますから投資ゼロです(笑。『こころ』は、「上・先生と私」「中・両親と私」「下・先生と遺書」の三部から成り立っています。

 「上」では、私と先生という謎の人との交遊が描かれ、「中」では帰省した私と当時の平均的庶民である両親と兄が登場し、先生から私に遺書が届きます。「下」になって、「上」で謎であった先生の過去が一挙に明らかにされます。謎が提出される「上」とその謎解き「下」は繋がっていますが、地方の中産階級の私の家族が登場する「中」にはどこか違和感があります。高校の教科書には普通「下」が採用されます。お嬢さんを巡り、親友のKを自殺に追い込んだ先生の自裁(モラル)の物語として採用されていると思われます。果たしてそうか?。「中」を手がかりに感想文を書いてみます。

以下感想文です。
 『こころ』は、「一見」、下宿先のお嬢さんを巡る先生と先生が自殺に追いやった親友Kの三角関係の物語です。先生はKを出し抜いてお嬢さんと結婚し、先生に裏切られたKは自殺します。Kの自殺を負い目として生きてきた先生は、明治天皇の崩御と乃木大将の殉死に引きずられるように自殺しますから、テーマはモラル?。

 小説は、私と暗い過去を引きずる先生が知り合う「上・先生と私」、帰省した私と両親を描く「中・両親と私」、先生の過去が明らかになる「下・先生と遺書」の三部構成です。「上」で提出される謎が、「下」で解き明かされるミステリー仕立てになっています。となると「中」は何のために存在するのか?。

 私は、父親が病に倒れたために帰郷します。息子の大学卒業を喜ぶ父親、息子の就職を気にかける母親、そして父親の病状を気遣う私の日常が描かれます。父親は
「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男は、大学を卒業なすって何をしてお出ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」
母親は、
「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好いじゃないか。こんな時こそ」
兄は兄で、無為徒食の先生について、
「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡だからね。人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくっちゃ?だ」
 これが現在も変わらない世間の常識というものでしょう。先生は家の財産の利息で生活する金利生活者ですから、これもごくまっとうな意見。私は、東京での先生との交流とは異る「世間の常識」と「肉親の情」に反発を覚えるのかというとそうでもなく、母親を安心させるために先生に就職斡旋の手紙を書きます。さりとて先生を忘れたわけではなく、先生と両親の間で揺れ動くといった宙ぶらりんな状況です。
 そんな中、先生の長い手紙、遺書が届きます。

 謎に満ちた「先生と私」、自殺に至る暗い物語「先生と遺書」に比べると、おおらかでありふれた何処にでもある日常です。登場する両親も兄も、ごく常識的な庶民です。大学を卒業したのだから、就職してまっとうな生活をしないといけないと諭され、私は先生に就職斡旋を依頼する手紙さえ書いています。

「先生と私」→「両親と私」→「先生と遺書」と順を追って読むと、小説の流れの中で「両親と私」は異質です。『こころ』が先生とKとお嬢さんの物語とすれば、「両親と私」は無くてもいいわけです。先生の謎、謎解きと自殺の間に、私の両親と故郷のエピソードが挟まれている意味とは何か?。
 先生とKは両親と故郷を失った存在で、私は両親と故郷を持つ存在です。この構成から漱石の意図したものは、観念(思想)に生きる人間(知識人)と肉親・故郷という土俗的なもに囲まれて生きる庶民の対比だと思われます。先生とKは自殺しますから、知識人は庶民に敗北したことになります。「両親と私」のラストで、私は先生の暗い過去は無用だと断じています。これは「先生と遺書」の否定であり先生の否定です。とすれば、なぜ私は危篤の父を残してまで汽車に飛び乗ったのか?。『こころ』は謎に満ちた物語です。

 これで1300字程度です。
 当blogの『こころ』 


タグ:読書
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

絵日記 秋ナス [日記(2017)]

DSC_0246.JPG DSC_0247.JPG
 枝を選定し、根切、追肥をした結果、秋ナスが大きくなってきました。キュウリも順調。ナスは料理の方法も多いので消費できますが、キュウリは漬物、サラダくらいしか思いつかないので消費しきれません。
 トマトの跡がふた畦空いたので、冬野菜なにを植えようかと思案中。
【追記】
DSC_0247.JPG
 どんどん収穫。10月中頃まで収穫できるらしいです。

タグ:絵日記
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

司馬遼太郎 最後の将軍 [日記(2017)]

新装版 最後の将軍 徳川慶喜 (文春文庫)

 徳川慶喜は大政奉還の後京都から大阪に逃げ出し、鳥羽伏見の戦いの最中に幕軍を捨てて軍艦で江戸に逃げ帰ります。300年続いた徳川幕府に引導を渡した最後の将軍ということになっています。薩長に屈服し徳川幕府を終焉に導いた旧体制の敗者のイメージです。何故ここまで徹底して逃げなければならなかったのか?。かねての疑問に答えてくれる”小説”です。

【尊王と歴史主義】

 慶喜は水戸藩の斉昭の七男に生まれ、一橋家に養子に入り第15代将軍となります。水戸藩は、この時代の思想潮流「尊皇攘夷」の総本山。藩主斉昭は幕府の参与となって尊皇「攘夷」をリードし、藩士も桜田門外の変、天狗党の乱を起こしています。もっとも慶喜に攘夷の熱狂はありません。

 水戸藩は、光國以来200年にわたって「大日本史」を編纂し続け、足利尊氏を逆賊、楠木正成を忠臣とする南朝を正統とする尊皇の藩。徳川家連枝の御三家であるにも関わらずで、朝廷と徳川幕府が対立した場合は朝廷に組すると噂されるほどの尊皇の意識が高い藩です。水戸藩は「大日本史」を編纂し続け、時代と人間を歴史の中に位置付ける歴史主義の藩でもあります。慶喜の血には尊皇と歴史主義が色濃く流れていることになります。

 司馬遼太郎は、「最後の将軍」慶喜の行動の謎を、水戸藩の尊皇と歴史主義の視点で描きます。

【大政奉還】

 将軍となった慶喜が直面したのが兵庫開港問題。朝廷と山内容堂(土佐)、松平春獄(越前)と伊達宗城(宇和島)、島津久光(薩摩)のいわゆる四賢候を集め協議をします。朝廷は勅許を出そうとせず、容堂は病欠、春獄と宗城は日和見、倒幕を画策し西郷、大久保に操られる久光は論議に加わろうとせず、慶喜は孤立します。結局は慶喜が押しきり開港に漕ぎ着けますが、作者は慶喜にこう言わせています、

百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ。...時勢に乗ってくるやつ(久光)にはかなわない

 四賢侯会議とは言え、実態は、兵庫開港をネタに幕府の権威を失わせ攘夷の世論を背景に一気に武力倒幕に持っていきたい西郷・大久保と、命脈尽きかけている徳川幕府を必死に支える慶喜の闘いです。

 慶喜側はいうと決して一枚岩ではなく、将軍後見職以来の慶喜の政策に反対する勢力は慶喜の側近を次々に暗殺し、江戸城ではその尊皇思想から「二心殿」と呼ばれ、身内からも批判を浴びている状況にあります。


 と、まぁ四面楚歌の慶喜は、土佐藩から提案された大政奉還にあっさり、むしろ喜んで乗ります。

政権という荷物を御所の塀のうちに投げ込んで関東へ帰ってしまう。「あとは朝廷にてご存分になされ」というせりふさえかれは考えていた。

 薩長の言うままに難題を持ち込み、(例えば兵庫開港問題などで)イジメぬかれた慶喜は、朝廷に愛想をつかしていたわけです。”無能ぞろいの公卿とわずか数万石にすぎぬ収入で、日本政府が出きあがるはずがない。領地も金も人材も軍隊もない新政府になにができるか。関八州四百万石をもち、軍艦十数隻と歩兵数万を持つ徳川氏にたよらざるを得ないではないか。”やれるものならやってみろ!というわけです。

 統治能力のない朝廷に代わって、諸藩の合議制による政治体制(公議政体)が構想され、最大の領地と軍事力を有する徳川「藩」の実質支配が可能となります。ところが薩摩は一枚上手で、「倒幕の密勅」を偽造し、江戸でテロを行い倒幕を挑発します。

【都落ち】

 大政奉還の後、倒幕派(薩摩)は慶喜の官位と領地を取りあげる「辞官納地」(小御所会議)問題を起こします。八百万石を失えば江戸の旗本、官僚、幕府軍は存立基盤を失います。当時の京都の兵力は、会津、桑名を含め幕府軍は1万、それに対し薩長軍は3千。戦いを起こし京都を軍事占領し御所を押さえれば形勢は一挙に逆転、当然幕府軍は色めき立ちます。一触即発の事態のなか、慶喜は幕軍に大阪退去を命じます。一時的な勝利を得てもいずれ「時勢」には勝てないと考える「尊王と歴史主義」の慶喜は足利尊氏(朝敵)になることを恐れたというのが作者の見方です。さらに、京阪にいる限り幕府軍と新政府軍の衝突は避けられないと考えた慶喜は、薩摩討伐に逸る幕軍を捨て軍艦・開陽に乗って江戸に逃げます。おまけに、会津兵、桑名兵の暴発を防ぐため松平容保、松平定敬も同行させるという念の入れよう。

 と書けばそんなものかということになりますが、維新の革命側にあってもおかしくない慶喜の孤軍奮闘ぶりは見事というほかはありません。


【徹底恭順】

 江戸に帰った慶喜は上野寛永寺に籠り謹慎、その後水戸へ去り明治後は静岡に移り歴史の舞台から消えます。25歳で将軍後見職となり30歳で大政奉還し徳川幕府の幕を引きますから、政治の表舞台に登場したのはわずか5年。謹慎後は、旧家臣や明治の顕官にも会おうとはせず、写真や狩猟の趣味に生き77年の完結した人生を閉じます。この徹底恭順こそ慶喜の真骨頂でしょう。視点を変えれば、慶喜は明治維新を作った功労者のひとりと言えそうです。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

夏休みの宿題(工作) [日記(2017)]

DSC_0195.JPG DSC_0205.JPG

ピカチュウ ペンケース         スノウボールもどき

 ペンケースは牛乳パックを切って包装紙をはり、ピカチュウの折り紙を貼り付けただけ。”スノウボールもどき”のブルーの液体は、保冷剤。瓶と貝殻は100均。誰が考えたんですかね、秀逸。ふたつ作っても1時間あれば十分。工作の宿題未だの人は、これに虫取り網、昨年作った貯金箱あたりからチョイスしてく下さい。簡単です。

タグ:絵日記
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

井上章一 京都ぎらい [日記(2017)]

京都ぎらい (朝日新書) 京都ぎらい (朝日新書)

 大阪は嫌いだが京都は好き、という人は多いと思います。何しろ人気都市ランキングで2014、15年二年連続世界第一位の京都ですから。その京都を「嫌い」と言うのですからけっこう勇気がいります。そう言う本人はというと、京都生まれ京都育ち京都在住の井上章一センセイ(国際文化センター教授)。何故京都がきらいかというと、嵯峨(京都西郊)で育ち宇治に住む井上センセイは、杉元秀太郎(仏文学者でエッセイスト)、梅棹忠夫(民族博物館創始者)の両センセイにアンタは京都人ではないと言われてしまったからです。

「君、どこの子や」  たずねられた私は、こたえている。 「嵯峨からきました。釈迦堂と二尊院の、ちょうどあいだあたりです」  この応答に、杉本氏はなつかしいと言う。嵯峨のどこが、どう想い出深いのか。杉本氏は、こう私につげた。 「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」・・・そこに揶揄的なふくみのあることは、いやおうなく聞きとれた。嵯峨の子か、田舎の子なんやなと、そう念をおす物言いであったことは、うたがえない。私は、はじめて出会った洛中でくらす名家の当主から、いけずを言われたのである。

杉本センセイは、300年続く老舗にの当主にして町家として有名な杉本家の住人。さらに、西陣で生まれ育った梅棹センセイに尋ねます、

 先生も、嵯峨あたりのことは、田舎やと見下したはりましたか」  あまりためらいもせず、西陣で生まれそだった梅棹氏は、こうこたえてくれた。 「そら、そうや。あのへんは言葉づかいがおかしかった。僕らが中学生ぐらいの時には、まねをしてよう笑いおうたもんや。じかにからこうたりもしたな。杉本秀太郎がそんなふうに言うのも、そら、しゃあないで」

 この京都の住人を洛中と洛外に分ける京都の中華思想を知って、著者は生まれ育った京都が嫌いになったわけです。またこんな話も引き合いにだします。三十路近くになった老舗のお嬢さんの縁談の話です、

「とうとう、山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ・・・山科なんかいったら、東山が西のほうに見えてしまうやないの」 

私は、洛中から見下されてきたことへの反発を気持ちのささえにして、これを書いている。洛外生息の劣等感が、執筆の原動力となっていることは、たしかである。祇園祭は洛中の、町衆がいとなむ祭であり、嵯峨の田舎者なんかはかかわれない。お前たちがくらす洛外と洛中のあいだには、深くて暗い溝がある。肝に銘じておけ、というように。

 とまぁこんな具合で、著者の京都きらいは始まったようです。井上センセイは、袈裟姿で祇園のお茶屋やキャバクラで遊ぶ僧侶を斬り、1985年の古都税を斬り、ウップンを晴らします。面白かったのは、「庭園秘話」。

 室町時代の京都では、武将たちの一行をうけいれる寺が、ふえだした。人目をよろこばせる庭が、寺でいとなまれるようになったのは、そのせいだろう。武将らの接待という新しいつとめが、庭の美化をおしすすめたのだと思う。ホテルとしてのサーヴィス機能が、それだけ高まったということではなかったか。

 龍安寺を始めとする観光寺院の「庭」は、禅思想の具現化でも何でも無く、ホテルのサーヴィス機能として発達した、同様に精進料理も武将に供するために洗練を極めたというのです。なるほど。

 で、京都の虚飾を次々に剥ぐのかと思いきや、一転して著者の育った”嵯峨”=洛外礼賛?となります。南北朝に至る大覚寺統の歴史です。嵯峨には院政時代には御所もあった、「平安京の副都心」や!。           

京都人たちがえらそうな顔をしていられるそのよりどころは、けっきょく歴史にある。嵯峨あたりを軽んじられるようになったのも、千年の都という中華思想のせいである。だが、王朝をいろどった歴史の跡なら、嵯峨にもいっぱい横たわっている。いや、平安京以前の、秦氏の入植にまでさかのぼれる歴史が、嵯峨にはある。そうや、歴史や。歴史を盾にとるんやったら、嵯峨かて負けてへん。京都人ばっかりに、いばらせたりはせえへんぞ…。こんな想いも、どこかでは私をつきうごかしていただろうか。

 間違いなく「つきうごかしていた」と思います。ここに至って、井上センセイは杉本センセイ、梅棹センセイの同類だと白状してしまいます。「京都ぎらい」と言いつつ、本書は逆説的”京都礼賛”に他なりません。

 著者・井上章一センセイは時折TVに登場されます。先日、NHKの「英雄たちの選択」に登場され、京都弁で珍説を披露されていました。70年代風の長髪の風貌とその珍説は、まことに愛すべきものがあります (笑。

タグ:読書
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

絵日記 カボチャ [日記(2017)]

DSC_0195.JPG DSC_0196.JPG

 カボチャを頂きました。カボチャというのは皮が硬いので、とても包丁は入りません。思案の末ナタです。均等というわけには行きませんが何とか四分割。

DSC_0197.JPG DSC_0193.JPG

 冷たいポタージュと煮ものにしてみました。まだ半分以上残っています。

タグ:絵日記
nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

絵日記 トマトペースト [日記(2017)]

DSC_0181.jpg DSC_0182.jpg

 トマトが大豊作で食べきれません。近所に配ったりと消化に努めていますが追いつきません。netで検索すると、トマトペーストにして保存すればカレーやパスタ料理に使えることが分かったので早速挑戦。ニンニクと玉ねぎをみじん切りにして炒め、トマトをザク切りにして投入 →煮詰めるだけです。大人のコブシ大6個のトマトが、ジャムのビン1個半になりました。

【追記】

DSC_0193.JPG

 このトマトペーストを使ってスパゲティ・ナポリタンを作ってみました。イケます。

タグ:絵日記
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

家庭菜園 キュウリを植える [日記(2017)]

DSC_0145.JPG DSC_0148.JPG

 到来物の自家製キューリのQちゃんが美味しかったので、苗を植えました。9月頃には穫れるでしょうか。

【追記】

DSC_0198.JPG DSC_0208.JPG

7/24に花が咲いて・・・・・・・・・・・7/30には収穫。この時期のキュウリは、1日に3cm伸びるそうです。

nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感