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絵日記 桜 [日記(2018)]

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 桜1                 桜2(トリミングのご褒美)
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司馬遼太郎 竜馬がゆく(7) [日記(2018)]

新装版 竜馬がゆく (8) (文春文庫)続きです。
大政奉還
 【幕府】
 大政奉還は竜馬の独創ではなく、勝海舟や大久保一翁といった幕府の革新官僚から生まれてきた考え方です。幕府が政権運営が困難となって来ているのは、内部にいる彼らが一番よく知っています。将来、幕府が瓦解し徳川家が滅びることもあり得るわけです。徳川家が生き延びる方法は、政権を投げ出し、自ら幕府を潰し一大名に戻ることです。日本は朝廷と幕府の二重構造ですから、幕府が潰れれば朝廷が日本国を背負って立たなくてはならないわけです。朝廷にそんな能力はあるはずもなく、諸侯の合議制による国家経営となるはずです。そうなれば合議政体の議長は最大の大名である徳川家となり、政権は引き続き保持できる、と勝と大久保は考えたはずです。

 【土佐藩】
 竜馬は、この大政奉還を後藤象二郎を通じて容堂に吹き込みます。いつ倒幕の詔勅が出てもおかしくない状況ですから、徳川家に義理を感じている容堂としては渡りに船。勤王と佐幕という絶対矛盾が一挙に解決されるという願ってもない話。おまけに、京都政界に土佐藩が復帰するチャンスでもあり、一石三鳥です。竜馬にとっても、薩長の倒幕勢力に土佐を加える絶好の機会です。

 【薩長、武力討幕派】
 武力討幕とは言え、朝敵の長州は京都に兵を置くことができず、動かせる兵は薩摩藩の京都駐屯の千人だけ。一方幕府側は、京都守護職の会津兵千人に加え洋式化された幕府歩兵が大阪に1万人。新選組、見廻組、その他佐幕の諸藩の兵士を加えると、幕府の兵力は万2〜3千人。クーデターとなって駆けつける兵力は、薩土盟約で板垣が率いる土佐兵、長州兵、追加の薩摩兵が当てにできるものの、いずれも国元にあり、駆けつけた時には勝負がついている可能性があり、武力討幕派の危惧もここにあります。
 大政奉還は、クーデター兵力の長州兵、薩摩兵、土佐兵を京都に集める絶好の機会となり、西郷、桂、中岡慎太郎も竜馬の大政奉還に乗ります。乗ったというより、まぁやってみろお手並み拝見、そんなに簡単に幕府が政権を投げ出すはずがない、こっちはこっちで武力革命の準備をする、ということでしょう。
 竜馬自身勝算があったかどうか。海援隊士の大半を大阪に移し、船に大砲を積んで兵庫沖に停泊させ、長崎に残った海援隊士は長崎奉行所を襲って十万両を強奪する、これだけの準備をして上洛しています。

平和革命か武力革命か
 後藤象二郎は、大政奉還の建白書を懐に京都の政界工作に走り回ります。交渉相手は慶喜の側近(秘書官)、永井尚志(げんばのかみ)、首相とも言うべき老中筆頭、板倉勝静。
 竜馬のシナリオでは、薩長土の兵を上洛させその武力を背景に大政奉還を迫り、幕府が拒否すれば直ちに討幕の兵を挙げるというものでしたが、容堂の反対にあい土佐兵は国元に置いたまま。約束が違う、というのが西郷や中岡の思いです。

 一方、岩倉具視と大久保利通の武力討伐派も着々と準備を進めています。勅勘のため岩倉村に隠棲している岩倉は、幼帝の外祖父、中山忠能を抱き込み討幕の密勅降下を画策します。もう一つが「錦の御旗」、天皇の軍隊であることを示す錦旗。これを掲げた方が官軍となります。錦の御旗など現実にはありません。女性の帯の生地を買ってきてデッチアゲます。

旗には正旗と副旗がある。
正旗は日月を入れたいわゆる錦旗で、これは薩藩用と長藩用のそれぞれ一旒ずつしかつくらない。
副旗は、のちのち参加してくる諸藩に用いさせるためのもので、菊花紋入れた紅旗、白旗という意匠になっている。これは紅白それぞれ十旒ずつ制作する。
これをひるがえせば、幕府はたちどころに賊軍になる

まさに陰謀ですが、権力、権威の機微を知っていた岩倉ならではの陰謀でしょう。密勅の方は、岩倉と品川弥二郎の会話が面白い!、

「これが密勅です」
(えっ)「ま、まことでござるか」
「・・・ここに、玉璽を押せば詔勅になる

中山忠能が介添えして幼帝に御印をもたせ、その手の甲を上からおさえるようにしてこの草稿に朱印を捺すわけです。

 同じ時に同じ京都で、後藤が大政奉還を説き廻り、岩倉と大久保が武力革命の陰謀をめぐらせています。慶應三年十月十三日、慶喜の大政奉還の表明と討幕の密勅降下が同時に起きます。討幕派は振り上げた刀の下から幕府がこつ然と消えて無くなり、大政奉還派は首の皮一枚でつながった、そんなところでしょうか。大政奉還を決意した慶喜の心情は、同じ作者の『最後の将軍』で語られています。

 幕府を倒した竜馬は、革命の果実をすべて西郷、大久保、桂に渡し、自身は新政府のどんな役職にも就きません。新政府は、平和革命派と武力革命派の闘争?の末、前者が勝利して生まれたわけです。竜馬が新政府に入ると、新政府はこのふたつの派閥の政争の場となりかねません。竜馬はこうした権力の魔を知っているわけです。

 大政奉還がなったとはいえ、徳川家は健在、佐幕過激派の会津、桑名藩兵は京都あり、幕府の陸海軍も無傷。何時ひっくり返ってもおかしくない状況です。竜馬は新政府のメンバー表、基本方針(新政府綱領八策)を作り、要となる財務担当に越前藩の三岡八郎(罪を得て閉門蟄居中)を引きずり出し、新政府の基礎を固め、慶應三年十一月十五日、中岡慎太郎と共に暗殺されます。享年33歳。(この項おしまい)

1)郷士、江戸遊学、脱藩
7)大政奉還、平和革命か武力革命か →このページ

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絵日記 コブシ [日記(2018)]

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                   コッチは梅

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司馬遼太郎 竜馬がゆく(6) [日記(2018)]

新装版 竜馬がゆく (7) (文春文庫)続きです。
海援

 第二次長州征伐で、竜馬と亀山社中はユニオン号に乗り大活躍。陸戦でも、長州は亀山社中が供給したミニエー銃によって勝利します。ユニオン号は持ち主の長州に取られ、長崎に帰った竜馬は無一文。水夫に給料も払えず、亀山社中は倒産寸前の状態にあります。
 第二次長州征伐の失敗で幕府権威は地に落ち、情勢が竜馬に味方します。佐幕一辺倒だった土佐藩が改革路線に舵を切り、参政、後藤象二郎は亀山社中の貿易に興味を示し竜馬に近づきます。竜馬は、薩長に土佐を加えて倒幕勢力を拡大するために、武市半平太を切腹に追い込んだ男と手を結びます。土佐藩が亀山社中を応援し、亀山社中も土佐藩を助ける対等の関係を結び、亀山社中を発展解消した海援隊と、中岡慎太郎の陸援隊が誕生します。
 後藤象二郎とともに、板垣退助、谷干城、福岡孝弟が登場し、岩崎弥太郎が加わり、土佐藩のオールスターが揃います。

いろは丸
 「いろは丸事件」は、直接明治維新と関わりのある事件ではありませんが、竜馬が海難事故の解決に万国公法(国際法)を持ち出したこと、相手が親藩の筆頭、紀州藩だったことがこの事件の特徴です。
 竜馬は伊予大洲藩に蒸気船を買わせ、海援隊が一航海五百両で借りる契約を結びます。この船がいろは丸160トン。薩摩藩の保証で長崎の商人の金で買った帆船と合わせて、海援隊はニ艘の船を持つ海運貿易商社となります。

 慶應三年四月、いろは丸は長崎で薩摩藩の銃器弾薬を積んで大阪に向けて出航します。瀬戸内海を讃岐に差し掛かった時、紀州藩の蒸気船、明光丸880トンと衝突事故を起こします。明光丸を右舷に認めたいろは丸は、舵を左に切りますが、明光丸はいろは丸の進路へ(つまり右に)舵を切り、いろは丸の船腹に激突。さらに後進前進を繰り返していろは丸に激突。いろは丸は沈没します。
 非は明光丸にあり、おまけに衝突時に当直士官が船橋にいなかったというお粗末ぶり。船と積荷を失った竜馬は、万国公法を武器に紀州藩に戦いを挑みます。「法」を以って浪士団が紀州徳川家と争ったわけです。

 荷主の薩摩藩、海援隊の出資者長州藩を味方につけ、公平を期すため英国の提督まで借り出して紀州藩に臨み、紀州藩は長崎奉行を動かし刺客まで放つ有様。地元の海援隊が徳川と喧嘩をするとあって、長崎庶民は当然海援隊を声援。紀州藩が万策尽きたところで土佐藩が調停に乗り出し、賠償金は8万3千余両。痛快事です。

 現在のルールでは、「海の上では右側通行」が原則だそうですから、舵を左に切ったいろは丸に非がありそうです。2006年のいろは丸の潜水調査では、竜馬が積んでいたと主張するミニエー銃400丁は発見されていないそうです。

 このいろは丸事件は、日本で最初の海難審判だそうです。

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絵日記 桜が咲いた [日記(2018)]

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司馬遼太郎 竜馬がゆく(5) [日記(2018)]

新装版 竜馬がゆく (6) (文春文庫)続きです。
郷士
 『竜馬がゆく』を読んでいると、郷士、それも土佐郷士がキーワードのように思われます。武士と農民の中間に位置する郷士は、土佐に限らず諸藩にあったようで、清河八郎(庄内)、芹沢鴨(水戸)も郷士の出。八王子千人同心もこの系列、薩摩にもあり桐野利秋も郷士です。
 土佐は、この郷士に対する差別がはなはだしかったようで、幕末には郷士の脱藩が相次ぎ、尊皇攘夷運動の中で倒れています。天誅組の吉村寅太郎、那須信吾(吉田東洋を暗殺)、池田屋事件の北添佶麿他四名。池内蔵太などは、天誅組の変に破れると長州と行動をともにし、禁門の変、幕長戦争、下関戦争と参戦しています(最期は亀山社中のワイル・ウエフ号の遭難)。藩ぐるみ佐幕から勤王に改革し、京都政界に打って出ようとした武市半平太は容堂によって切腹させられ、土佐勤王党は崩壊。まさに死屍累々。土佐にあって勤王を目指す郷士は、脱藩するより道がありません。

 薩長同盟を説くため竜馬は大宰府に流されている五卿を尋ねる下りで
 国を出て天下に散った土佐浪士は、多くは風雲のなかで死んだが、その生き残りは、三つの集団に分かれている。
一つは、竜馬の亀山社中。
一つは、中岡慎太郎を頭とする長州忠勇隊の面々。
一つは、土方楠左衛門を頭株とする三条実美護衛組
亀山社中が薩長の接着剤となり、竜馬と中岡慎太郎が薩長同盟を実現ますから、脱藩土佐浪士が明治維新に果たした役割は大きいです。

 竜馬も土佐藩を見限って脱藩します。土佐の脱藩者の多くは長州を頼っていますが、竜馬の特徴は、既存の勤王勢力と無縁に神戸海軍塾、亀山社中と独立自尊。士農工商の身分制を否定して、天皇の本万民が平等である社会を目指すという竜馬の思想は、土佐の郷士制度に根があると思います。

薩長同盟
 薩長同盟は、竜馬の独創ではないそうです。薩摩と長州が手を結べは幕府は倒れる、というのは、当時の勤王運動に携わっていたものなら誰しも考えていたことです。ところが、これが一筋縄ではいかない。(お尋ね者の)桂は決死の思いで京都に潜入し西郷と会談するのですが、両人ともなかなか同盟の話ができない。ヤァヤァこの度は坂本くんのお骨折りにより・・・と言えない。つまり、どちらが先に切り出すかという問題です。長州が切り出せば、長州征伐で苦境に立つ長州は薩摩に媚びることになり、薩摩は薩摩で藩の体面と威厳のため、双方切り出せない。ことここに至っても、「藩意識」が邪魔していることになります。拗ねものの桂は「長州に帰る!」と言う有り様。桂の気持ちはよく分かります。「八月十八日の政変」で薩摩に裏切られ、「禁門の変」では西郷に攻められ、第一次長州征伐は西郷が幕府側参謀として参戦しています。この間長州は、来島又兵衛、久坂玄瑞、吉田稔麿、等多くの人材を失っています。西郷は少し大人げなかったと言うべきでしょう。

 「長州が可愛そうではないか」と(竜馬は)叫ぶようにいった。・・・
西郷はにわかに膝をただし、「君の申されるとおりであった。薩長連合のことは、当藩より長州藩に申し入れよう」
 薩長連合は、慶応二年正月二十一日、小松帯刀の屋敷で結ばれます。

 薩長同盟は六カ条からなる攻守同盟です。
一、戦いと相成り候時は直様二千余の兵を急速差登し只今在京の兵と合し、浪華へも千程は差置き、京坂両処を相固め候事
 →幕長戦争となったら、薩摩は国許から兵二千を京都派兵する
一、戦自然も我勝利と相成り候気鋒これ有り候とき、其節朝廷へ申上屹度尽力の次第これ有り候との事
 →長州の勝利が見えてきたら、薩摩は、朝廷が調停者となり有利な講和へと努力する
一、万一負色にこれ有り候とも一年や半年に決て壊滅致し候と申事はこれ無き事に付、其間には必尽力の次第屹度これ有り候との事
 →長州が負けそうになったら、半年や一年で壊滅はしないが、薩摩は必要な手を打つ
一、是なりにて幕兵東帰せしときは屹度朝廷へ申上、直様冤罪は朝廷より御免に相成候都合に屹度尽力の事
 →幕長戦争が行われなかったら、薩摩は朝廷に働きかけ、「朝敵」の汚名を晴らす
一、兵士をも上国の上、橋会桑等も今の如き次第にて勿体なくも朝廷を擁し奉り、正義を抗み周旋尽力の道を相遮り候ときは、終に決戦に及び候外これ無きとの事
 →一橋、会津、桑名が天皇を擁して邪魔立てしたら、必ず決戦におよぶこと
一、冤罪も御免の上は双方誠心を以て相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可しとの事
 →「長敵」の冤罪が晴れたら、薩長はともに朝権の回復に尽力する

 薩長同盟は正式文書として残っていないそうです。同盟締結後、薩摩の裏切りを心配した桂が、中身は「こうだったね」と竜馬に書き送り裏書きさせたものが残っています。
 政治史学者の坂野潤治氏は、「尽力」という言葉に注目し、薩長同盟は薩摩が長州の「長敵」の汚名を晴らす同盟だったと読んでいます。汚名を晴らすため御所に攻め行った(禁門の変)長州ですから、それもあったでしょうが、第二次長州征伐を前にして、薩長が「相合し皇国の御為皇威相暉き御回復に立至り候を目途に誠心を尽し屹度尽力仕まつる可し」と誓い合ったいうところでしょう。もっとも、汚名を晴らさなければ長州は京都政界で活躍できませんから、同じことです。この同名から明治維新は出発したと言ってもいいでしょう。

 この後、例の”おりょう”が裸で竜馬に危機を告げる「寺田屋事件」があり、ふたりの仲が濃くなります。

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絵日記 トサミズキ [日記(2018)]

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『竜馬がゆく』を読んでいるので、ちょうどいいです。 未だ葉はありませんが、もうすぐこうなります。

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司馬遼太郎 竜馬がゆく(4) [日記(2018)]

新装版 竜馬がゆく (6) (文春文庫)
続きです。

小栗上野介
 神戸海軍塾が閉鎖されます。塾生が池田屋事件や禁門の変に参加しているため、勝は幕臣でありながら討幕の浪士を飼っているということになり、軍艦奉行を免ぜられ海軍塾は閉鎖となります。まぁ当然といえば当然か。

 竜馬は浪士とともに大阪の薩摩藩邸に移ります。大阪城代並として出張している大久保一翁から、せっせと海外情報を吸収し、幕府がフランスから金を借り軍備を整えつつある情報を入手します。これを仕切っているのが、勝の後任の軍艦奉行、小栗上野介。小栗は、フランスの援助の軍備を拡張し、薩長土を叩いて京都政権を否定、ゆくゆくは藩を解体して郡県制を敷き、将軍を頂点とする徳川新国家の建設を目指す「革命家」です。仏には北海道を割譲し、国を売り渡すあるいは謀叛人。藩を無くせば、封建制の否定までは後一歩。大政奉還、廃藩置県も倒幕派の専売特許ではなく、小栗、大久保一翁など幕府の革新官僚も考えていたわけです。ちなみに、小栗は、遣米使節(勝海舟とともに)の目付としてアメリカの政治制度、工業力目の当たりにしていますから、これが小栗の危機意識、改革の要因でしょう。小銃、大砲を国産化し横須賀製鉄所まで作っていますから、島津斉彬の幕府版です。これを聞いた西郷は慌てます。
 歴史は英雄だけが作るのではなく、時間の成熟のなかから生まれてくるのではないかと思います。

亀山社中
 薩長同盟が浮上します。幕府は、薩摩にも第二次長州征伐の出兵を命じてきますが、薩摩は長伐は幕府と長州の私闘でるとしてこれを拒否します。まず長州を滅ぼし、次は薩摩に矛先が向かないとも限らず、朝廷を擁して国政に影響力を保持したい薩摩にとっては、幕府の軍事力と権威の復活は避けたいわけです。欧米と通商条約を結んでも、諸藩には貿易を認めず、幕府のみがその利益を享受。強大な幕府の再生は見えています。第二次長州征伐を目前に控え、存亡の危機長州にとっては、薩長同盟は願ってもない話。
 ”だから早く長州と手を握って幕府を倒そうよ”と竜馬は、西郷に言います。
Kaientai.jpg亀山社中、竜馬は左から3番目(wikipediaより)
 神戸海軍塾の閉鎖で観光丸を失った竜馬は、薩摩藩を大株主に海軍会社設を西郷に持ちかけます。
 浪人による貿易会社を設立し、海運と貿易による資金で軍艦と武器を買いそれで幕府を倒すいうのが、竜馬の構想です。琉球を隠れ蓑にした密貿易で軍備を整えてきた薩摩藩は、この構想が理解できる唯一の藩。西郷は竜馬の構想に乗り、薩摩の出資で亀山社中が誕生します。

 対幕戦争をひかえた長州は、武器と軍艦が必要なわけですが、外国商館は日本の支配者の幕府の敵である長州に武器を売ってはくれません。竜馬は、(薩長同盟の前哨として)薩摩名義で武器、軍艦を買って長州に運び、軍艦はそのまま亀山社中が乗り回すというまるで手品のようなビジネスをやってのけます。おまけに、薩摩で不足している米を長州から運び込みます。この時、亀山社中が買った(金を出したのは長州)最新式のミニエー銃が、幕長戦争で長州に勝利をもたらします。

 この一切を亀山社中が取り仕切り、竜馬は積年の夢を実現したことになります。(ヒトはあるが)モノ、カネ、背景もない一介の脱藩浪人が、人脈と情報だけで組織を立ち上げ、二大雄藩と取引し、薩長同盟という歴史まで演出したのです。封建商社の浪士版です。
Kondou_Tyojiro.jpg Nagaoka_Kenkichi_Photo.jpg Sawamura_Sonojo.jpg
饅頭屋長次郎       長岡謙吉     沢村惣之丞
(wikipediaより)

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司馬遼太郎 竜馬がゆく(3) [日記(2018)]

竜馬がゆく(五)続きです。
818日政変 → 禁門の
 この時期、京都政界は、長州、薩摩、会津(京都守護職)の三藩によって動いています。なかでも長州藩は公卿の多くを抱き込み、攘夷の偽勅を乱発するなどやりたい放題。天皇も公家も初めは長州支持でしたが、作者が言うところの「悪女の深情け」で次第に鬱陶しくなり、孝明天皇は長州を懲らしめろ!と幕府に詔書を出します。

 そんななかで、1863年長州系の公卿、姉小路公知が暗殺されます。現場には薩摩の「人斬り」田中新兵衛の刀が残されていたため、薩摩藩の犯行とみなされます。武士が犯行現場に刀を忘れるわけもなく、これは薩摩を陥れる謀略でしょう。新兵衛は一言の弁解もなく腹を切り、結局犯人は見つからず事件は闇の中。このため京都政界での薩摩の地位は落ち、御所の乾御門の警護の役を解かれ、薩摩は京都での発言力を失います。

 薩摩は勢力挽回のため、会津と手を握り(薩会同盟)、長州(+勤王浪士)を朝敵とし京都から追い落とします(8月18日の政変、七卿落ち)。この数年後には、薩摩は長州と手を結び会津を叩き、幕府を倒して会津討伐戦をやってのけるのですから薩摩の政治力というのは凄いものです。

 長州は朝敵の汚名を返上するため、兵を率いて京都に入り「禁門の変」を起こします。長州軍の幟は、「尊皇攘夷」「討薩賊会奸」だったそうです。この間の政争は、誰が玉(天皇)を取るかという将棋のようなものです。「禁門の変」の後、京都政界は一会桑(一橋、会津、桑名)+薩摩が握り幕威は回復します。

西郷・勝 会談
 西郷の鹿児島帰還は1864年です。1863年の薩会同盟の謀略には加わっていませんが、禁門の変には参謀として加わり、長州撃退に貢献しています。
 変の後、西郷は大阪にいる勝を訪れます。本書によるとこの会談は二度目だそうで、最初は西郷が大島に流されているときに勝が訪ねています。西郷は、その頃取り組んでいた密貿易の成果を勝に披露したそうで、その成果とは蔵に詰まった武器弾薬。一朝事あらばこの武器を以ってというわけでしょう。二年間西郷は漫然と島流しになっていたわけではない...、なかなか説得力あるエピソードです。行動範囲の広い軍艦奉行とはいえ、勝が大島まで西郷に会いに行ったことには感心します。勝と島津斉彬は親しかったようですから、西郷の人となりを聞いていたのでしょう。

 この(第二回)会談で、西郷は勝の「列藩同盟」の話を聞き、「この勝先生をひどく惚れ申し候」(大久保利通への手紙)ということになります。列藩同盟というのは「封建議会」のことで、当事者能力を欠いた幕府に代わって、薩摩、土佐などの雄藩が軍事、外交のヘゲモニーを握り、日本国の舵取りをするというものです。坂野潤治によると、この会談では、「天下の人才を挙げての公議会と明賢の諸侯四五人の会議体のふたつを設けて難局に当たるということで意見の一致を見た」、ということになっています(本書ではそこまで触れていませんが)。
 西郷が「惚れ申し候」と書いたのは、薩摩藩の枠を越えられない自分に比べ、勝は幕府を飛び越えて日本国を見据えていたからだというのが作者の考えです。
 勝は「面白い男がいますよ」と西郷に龍馬と会うことを薦めます。勝は、松平春嶽、大久保一翁、横井小楠等を龍馬に紹介し、さらに西郷隆盛が加わりますから豪華絢爛の一語につきます。

西郷隆盛
 作者は、「西郷隆盛はどういひとか ?」と問われて「ついにわからぬひとだ」と答え、

 西郷は「敬天愛人」という言葉をこのんだが、これほど私心のない男はなかった。若いころから私心をのぞいて大事をなす、ということを自分の理想像とし、必死に自己を教育し、ついに中年にいたって、ほとんどそれに近い人間ができた。
  ・・・そういう鍛練によって、異常なばかりに人を魅きつける人格ができあがった。この異常な吸引力が彼の原動力となり、かれのためには命もいらぬという人間がむらがってあつまり、それが大集団となり、ついには薩摩藩を動かし、この藩を幕末のなかに投ずることによって、維新が完成した。

と書いています。が、肝心のなぜ「私心をのぞいて大事をなす」ということに拘ったのか、ということまでは書いていません。司馬遼太郎の維新ものはたいてい読みましたが、これだ!という西郷像にはであっていません。
 西南戦争で、中津藩士のひとりが西郷に殉じます。理由を聞かれ、
(西郷に)三日接すれば三日の愛が生ず。ついに親愛日に加わっていまは去ることができぬ。こうなった以上、善も悪も生死を共にするつもりじゃ、と答えています。勝海舟は
おれなんぞは西郷よりもあたまがいい、しかし人間としてあの男にとても及べぬのは、その大胆識と大誠意にある。
と言っています。西郷は、大人格者ということなんでしょう。

 竜馬は西郷を京都薩摩藩邸に訪ねます。幕末の巨頭同士の対面を作者は書きあぐねたのか、竜馬が鈴虫を捕るエピソードと薩長連合を匂わすだけで、この二人の大男の初対面は談論風発とまではいかなかった
 この対面のあと、勝は日記に竜馬の西郷評をこう書きます、
 氏(竜馬)いわく、「われはじめて西郷を見る。その人物、茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく鳴る」と。

 やっと第5巻まで来ました、それにしても長い!。

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ATOK androidお試し版 [日記(2018)]

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POBox        ATOK        これがキモ
 XperiaではPOBoxを使っています。ソフトキーボードは、携帯打ちができないので”qwerty”で、POBoxは打ミスが少なく重宝しています。辞書がイマイチで変換効率が悪いにで、”ATOKお試し版”を入れてみました。例えば「不羈」。POBoxは変換出来ませんが、ATOKは見事に変換してくれます。変換出来ないときのために広辞苑を入れているので何とか凌いでいますが、ATOKの辞書は優れものです。澎湃、直裁、跋扈、紐帯、俚諺も一発変換。
POBox不羈.png Atok不羈.png

POBoxのfuki     ATOKのfuki     

 もっとも、いいことばかりではありません。タブレットならまだしも、スマホで使うにはキーボードが小さすぎ、隣のキーをタッチしてしまいます。入力し易さをとるか、変換効率をとるか、です。1543円払うべきかどうか?。POBoxの最新の辞書が提供されればいいのですが。

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