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佐藤 優 十五の夏(下) [日記(2019)]

十五の夏 下  続きです。図書館で借りたため時間が開いてしまいました。著者、十五歳の佐藤優氏はキエフからモスクワに入り「ラジオ・モスクワ」日本語課を訪問します。この奇妙な訪問に至った経緯が語られます。

 中学3年生の頃、筆者は「ラジオ・モスクワ」の熱心なリスナーだったようです。1970年~80年にかけて、所謂SWL(BCL)ブームが起こり、彼もまた短波ラジオで海外放送を聞くことを趣味を趣味としています。当時は日本語放送が多くあり、放送局に受信レポートを送ると、ベリ・カードや番組表を送ってくれました。特にモスクワ放送のリスナー・サービスは手厚く、筆者はロシアへの傾斜を強め、モスクワ放送の東京支局を訪問し、日ソ交流の団体と接触します。
 その団体で知り合った日本人からロシアに関する情報を吸収します。この辺りになると、15歳の中学生・優くんが、元外務省主任分析官でロシアの専門家・佐藤 優氏に変貌します。筆者(佐藤 優氏)は、元日本陸軍の情報将校、シベリア抑留の経験者、露文学科の大学生などを登場させ、北方領土問題など戦後の日ソ外交を展望します。歯舞、色丹二島返還論です。択捉、国後はサンフランシスコ条約で放棄され、歯舞、色丹は日ソ善隣友好条約を結べば返還される。まず二島返還論を実現しソ連関係を改善すべきだ、と云うわけです。これは佐藤 優氏の持論のようで、安部・プーチン会談が行われた昨年にはさかんに発言しています。
 ロシア外交の専門家ですから分からなくはないのですが...。

 著者はモスクワからウズベキスタンのバハラを訪れて中央アジアを体験し、ハバロフスクを経由して日本に帰り着きます。この後優くんは、同志社大学・神学部から外務省を経て作家となります。この旅行が彼の人生に何をもたらしたのかは推測する他はありませんが、優くんは訪れた国で観光はせず、バスに乗り市場を訪れ人々と触れ合うことでその国を体験します。15歳の少年が東欧、ソ連を旅行して学んだのは、異文化、民族と文化の多様性ということではないかと思います。

 1975年当時、15歳の高校生が東欧・ソ連をひとりで旅行することは珍しい「事件」ではありますが、40数年経ってそれを本にする意味がいまひと分かりません。

タグ:読書
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ジャンクPC NEC VW970WG [日記(2019)]

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 部品取りにでもと、壊れたパソコンを貰いました。NECのPC-VW970WG。i5-650 3.2G、メモリ4G、ディスプレイ一体型で、TV、録画機能を持つAVパソコンです。 電源を入れると画面は真っ黒、NECのロゴも出ない、従ってBIOS画面も出ないという完全ジャンク。ビデオ系が死んでいるようです。裏蓋を開けると、基板がギッシリ。コネクタの接触不良を疑って、抜き差したのですが治りません。普通のデスクトップなら、マザーボード、ビデオカードを入れ替えれば何とかなるのですが、多機能でオリジナルの基板を積んだPCはお手上げ。

 HDDレーコーダとHDMIを繋ぐとTVが映り、音声が出ますから、ディスプレイそのものは生きています。パソコンかレコーダのディスプレイとしてなら利用出来そうです。パーツ活用は、メモリ(2GX2)、ブルーレイ光ドライブ、CPUは利用できそうですが、現用デスクトップのマザーがAMDなのでCPUはX、光ドライブもスリムタイプなのでアタッチメントが必要。PCかレコーダーのディスプレくらいしか利用できません。けっこう面白そうなパソコンなのですが、今回はむなしく敗退です。

タグ:パソコン
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映画 メッセージ(2016米) [日記(2019)]

メッセージ (オリジナルカード付) [AmazonDVDコレクション]灼熱の魂』『ボーダーライン』『ブレードランナー 2049』に続きドゥニ・ヴィルヌーヴ4本目。

  原題”Arrival”。世界12の地域に異星人の宇宙船が降り立ちます。異星人は何処から何の目的で地球にやってきたのか?、人類はどのように異星人とコンタクトを取ったのか、というSFです。

 異星人とコンタクトを取るため、着陸した12ヵ国は合同チームを組織し情報を共有します。アメリカではモンタナ州にUFOが着陸し、言語学者のルイーズ(エイミー・アダムス)と理論物理学者イアン(ジェレミー・レナー)が米軍に協力します。
メッセージ3.jpg メッセージ2.jpg
 宇宙船で、ルイーズとイアンは透明の壁を隔てて”ヘプタポッド”と名付けられた7本の足を持つ巨大なタコのようなエイリアンと接触します。意思疏通を図ろうとしますが、彼らの発する言語は解読不能。ルイーズは、動作と文字(英語)によって呼び掛け、ヘプタポッドは壁に記号を書いて返すことで会話が可能となります。中国は麻雀パイを使って意思疎通を試みます(笑。麻雀は対立と勝敗によって成立し、誰かの勝利は誰かの敗北に繋がるゼロサム・ゲーム。ここから非ゼロサム、全員がwin winの関係が導きだされ、12ヵ国がwin winとなるのかという命題が提出されます。中国(人民解放軍)はヘプタポッドとのコミュニケーションから、彼らの目的が人類に武器(道具)を提供することだと理解し、武器によって人類を対立させ、地球を支配することが最終目的であると結論づけます。中国は12ヵ国の組織から離脱、宇宙船の攻撃準備に入り、ロシア他がこれに同調し「宇宙戦争」の様相を呈して来ます。

 UFO、エイリアンとSF仕立てですが、主題は別のところあります。冒頭、ルイーズの独白が回想?が描かれます。

人は”時の流れ”に縛られて生きているけど
時に”流れ”がなかったら?
私の人生観を変えたのは 彼らの出現だ

 彼らとはヘプタポッドのことですから、この映画の主題はエイリアンではなく、”時の流れ”に関わるものらしい...。

 さらに「サピア=ウォーフの仮説」なるものが提出されます。”思考は話す言語で形成される(決定される)”というもので、ヘプタポッドの言語で彼らと会話するルイーズに変化が起きます。ルイーズは、序々に幻をみるようになります。エイリアンの言葉を使い彼らと会話することで、「”時の流れ”に縛られ」ことから脱し彼らと同じ感覚で”時”を理解できるようになる →過去と同様に未来が見えるようになります。彼らの目的、人類に提供する武器(道具)とは言語のことだったわけです。今までルイーズの回想は、実は未来を幻視していたことになります

 ルイーズの予知によって一触即発の危機が回避され、ヘクタポッドの目的が明らかになります。なかなか一筋縄でいかない映画です。2回見ました(笑。

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:エイミー・アダムス ジェレミー・レナー フォレスト・ウィテカー

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司馬遼太郎 韓のくに紀行 [日記(2019)]

街道をゆく 2 韓のくに紀行 (朝日文庫)  『街道をゆく』の(2)です。どういう目的で韓国に行くのかと問われて、

まあ古いころ、それも飛びきり古い昔々にですね、たとえば日本とか朝鮮とかいった国名もなにもないほど古いころに、朝鮮地域の人間も日本地域の人間も互いに一つだったとその頃は思っていたでしょうね。言葉も方言の違い程度の違いあるにしても、大声で喋りあうと通じたでしょう。そういう大昔の気分を

味わってみたいというのが、作者の目的です。この気分は、

「おまえ、どこからきた」
と、見知らぬ男にきく。
「カラからきたよ」
と、その男は答える。こういう問答が、九州あたりのいたるところ行われたであろう。カラとは具体的には駕洛国をさし...

朝鮮半島南部、対馬、壱岐、九州北部が一体の生活圏、文化圏にあったというイメージです。

 高校の頃(それこそン十年前)、5~6世紀の頃、釜山の近く任那に大和政権の朝鮮統治のための出先機関「任那日本府」があったと習いました。皇国史観と言われそうですが、面白いのは、考古学に政治が持ち込まれること。日本の勢力が朝鮮南部に及んでいたという説と、いや朝鮮の勢力だ、”安羅”が倭人官僚を迎え入れた実質的には安羅の外務官署であり、「安羅倭臣館」と呼ぶべきだ、という説などがあります。

 そもそも国家が成立していない時代の出来事を、21世紀に国家を背負って云々すると、「日本府」だ「倭臣館」だと綱引きするきとになります。それに比べると、司馬遼さんのイメージは詩的で説得力があります。
 「好太王碑」で明らかですが、大和政権は朝鮮北部で高句麗軍と戦っていますから、南の任那に出張所があってもおかしくはないわけです。この好太王碑の碑文も、明治期に日本軍が書き換えたという「学説」まであるそうです。秀吉の朝鮮侵攻、日韓併合の恨みは深いです。

 中国、朝鮮にあって古くは、日本人は「倭」と呼ばれます。魏志倭人伝の倭です。小さい奴という意味でどちらかというと蔑称でしょう。作者は韓国に行ってこの倭を考えます。

 高句麗、新羅、百済の朝鮮は、中国(宋)同様に儒教を規範とする国です。半島という立地上、中国から侵略を恐れ儒教で国を染めます。同じ文明を持てば、同族とは言わないまでも侵略から逃れる可能性が増すと考えたのでしょう。朝鮮は、中国から「東方礼儀ノ国」と呼ばれるまでになります。

儒教国家というものは自然のままの人間というもの認めない。人間は秩序原理(儒教、礼)でもって飼い馴らしてはじめて人間になる。

 これに当てはまらない日本人は礼を知らない野蛮人=倭ということになります。司馬さんは、倭という人種は、背が矮さい、ハダカでいる、フンドシ一本で太刀を背負って肩肘を張っている、というイメージではあるまいか、と想像しますが、これ「倭寇」です。このイメージを、もろ肌脱いでドスを片手に討ち入るヤクザ映画ヒーロー(健さん)と重ね合わせます(笑。

 作者は、金海、慶州佛國寺、慕夏堂、扶余と、伽耶、新羅、百済の地を訪れ、歌垣に出会い「怒れるツングース」(これ面白い!)を経験し、お得意の「余談」に次ぐ余談が続くわけです。
 日韓関係がきな臭い昨今、読んで間違いのない一冊だと思います。

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映画 愛と哀しみのボレロ(1981仏) [日記(2019)]

愛と哀しみのボレロ [DVD]  原題”Les Uns et les Autres”。映画は、ラヴェルの「ボレロ」を踊るダンサーから始まり、4つの物語が描かれます。

1936年モスクワ
 タチアナ(リタ・ポールブールド)は、ボリショイバレーのプリマ選考会で落ち、選考委員のボリスと出会い結婚します。
1937年パリ
 フォリー・ベルジェール(クラブ)のバイオリン奏者アンヌ(ニコール・ガルシア)は、ピアニスト・シモン(ロベール・オッセン)と出会い結婚します。この時踊っていた黒人ダンサーはあのジョセフィン・ベイカー?。
1938年ベルリン
 ピアニストのカール(ダニエル・オルブリフスキ)は、ナチス主催の音楽会でヒトラーに認められ独軍の音楽隊将校となって占領下のパリに向かいます。カールは、パリでクラブ歌手エブリーヌと恋に墜ちます。
1939年ニューヨーク
 作曲家でバンドマスターのジャック(ジェームズ・カーン)は、コンサートの最中に子供が生まれたことを知らされ、またナチスがポーランドに侵攻した臨時ニュースが流れます。
 モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨークの4組の家族の物語です。
borero2.jpg ボレロ.jpg
 タチアナは「大祖国戦争」でボリスを失い、バレー教師となって息子をバレリーナに育てます。アンヌとシモンはユダヤ人強制収容所に送られ、シモンは息子を生き延びさせるため列車から捨てます。シモンはガス室で死にアンヌは生き延びパリに戻ります。カールは敗戦でパリで捕虜となり、廃墟となったベルリンに戻り、エブリーヌ(エブリーヌ・ブイックス)はカールの子供を宿し郷里に身を寄せます。フランス解放を祝う米軍と村人の宴には、演奏するジャックと、エブリーヌ、アンヌが捨てた(逃がした)息子、息子を育てる神父の姿があります。

 映画は次の世代の物語となります。タチアナの息子セルゲイ(ジョルジュ・ドン)はバレリーナ、アンヌの息子ロベールは弁護士、カールの娘エディットはキャスター、ジャックの娘サラ(ジェラルディン・チャップリン)は歌手となって、奇しくもコンサートに集います。ラヴェルの「ボレロ」が演奏され、指揮をとるのはカール、サラとロベールの息子が歌い、踊るのはセルゲイ。
 音楽を媒介として、4つの家族の戦争と戦後を描いた壮大な歴史ドラマです。前半は音楽とドラマが調和していて見応えがありますが、後半はちょっとダレます、3時間は長い!。

 『男と女』のクロード・ルルーシュ、フランシス・レイのコンビ。ドラマにはあまりカラミませんが、ジャック・ヴィレルが出ていて個人的には嬉しいかな。

監督:クロード・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ ミシェル・ルグラン
出演:ロベール・オッセン ニコール・ガルシア ジェラルディン・チャップリン ジェームズ・カーン ジョルジュ・ドン リタ・ポールブールド

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(8) [日記(2019)]

新装版 翔ぶが如く (9) (文春文庫)翔ぶが如く(十) (文春文庫)薩軍敗走.jpg
                   南日本新聞からお借りしました
 田原坂、吉次越、山鹿で破れた薩軍は、木留、植木に後退して抵抗を続けます。政府軍(衝背軍)が八代南の日奈久に上陸して南北から挟み撃ち。4月27日薩軍は人吉に逃れ、9月2日に鹿児島に入るまでの130日余り宮崎、延岡、九州南部の山岳を彷徨います。事ここに至って、薩軍は吸い寄せられるように故郷に向かいます。


 鹿児島に入った薩軍はわずか370人。城山に拠り防塁を築き洞穴を掘って籠もり、政府軍七万が囲んだそうです。西郷の死は国家の損失だと考えた薩軍は、助命嘆願のため辺見十郎太と河野主一郎が川村純義(薩摩)を政府軍の陣営に訪れています。川村は、西郷自らが和平交渉に来ることを促しますが、これは自決を促したということでしょう。この時辺見は、政府軍の総帥・山県有朋(長州)が西郷に宛てた私信を預かります。、

・・・其事ノ非ナルヲ知リツツモ遂ニ壮士ニ奉戴セラレタルニ 非 ズヤ。然ラバ則チ今日ノ事タル、君ハ初メヨリ一死ヲ以テ壮士ニ与ヘント期セシニ外ナラズヤ・・・事既ニ今日ニ至ル、之ヲ言フモ益ナシ、君何ゾ早ク自ラ図ラザルヤ、君、幸ニ少シク有朋ガ情懐ノ苦ヲ察セヨ、涙ヲ揮フテ之ヲ草ス、書、意ヲ 尽 サ

 山県は、西郷が私学校の暴発に反対しながらも、情によって彼らに生死を預けたのだろうと推測し、君何ゾ早ク自ラ図ラザルヤと、自害を勧めます。山県は、西郷に汚職事件(山城屋事件)で助けられ恩義があり、長州人の中では(木戸とは違って)西郷に親近感を持っていますから、有朋ガ情懐ノ苦ヲ察セヨ、涙ヲ揮フテ之ヲ草スという表現になります。

 300余名の薩軍のなかから、しかも将校のなかから野村忍介ら5名の投降者が出ます。全員が打ち死にすれば今回の義挙の本意が埋もれてしまう、法廷に立って名分を明らかにし後世に残そうということです。作者は桐野のやったこの愚劣な戦さでおめおめ死ねるか」という感情のほうが、むろんつよいと想像していますが、あるいはそうかも知れません。野村忍介は蜂起に先立つ会議でも桐野の強硬論に異を唱え、延岡でも豊後への侵攻を目指してゲリラ戦を戦い活路を開こうとしています。西郷を戴いた薩軍も決して一枚岩でなかったわけです。

 9月24日、歩兵による総攻撃が開始されます。西郷は、山縣に促されるまでもなく自決、それも切腹ではなく闘死を選択し、戦闘のなかで斃れます。西郷は別府晋介をかえりみて、

晋ドン、モウココデヨカ
そうじ(そうで)ごわんすかい 御免なって賜も

と西郷の首を落とします。桐野は、銃をもって塁上で孤軍奮闘し頭を射抜かれて討ち死にし、村田切腹し、別府と辺見は刺し違えて死に、薩軍は滅びます。戦闘が終わると天候が一変して滝のような夕立が降ったそうです。

 そのあたりに血と砂にまみれてころがっていた死体も、天がこれを清めてくれた...。

 西郷軍はその死まで詩です。

 坂本龍馬は「少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう」と西郷を評し、西南戦争で薩軍に加担した中津藩の増田宗太郎は「1日先生に接すれば1日の愛があり、3日接すれば3日の愛がある、だから西郷先生とは離れられない」と城山で西郷に殉じます。司馬遼太郎は、西郷隆盛とは何者だったのか?という主題で『翔ぶが如く』を書いたわけですが、

 要するに西郷という人は、後世の者が小説をもってしても評論をもってしても把えがたい箇処があるのは、増田宋太郎のいうこういうあたりのことであろう。西郷は、西郷に会う以外にわかる 方法がなく、できれば数日接してみなければその重大な部分がわからない。

 と、書かざるを得なかったようです。従って、私如きが西郷を理解することは不可能のようです。

タグ:読書
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J.D.サリンジャー ライ麦畑でつかまえて [日記(2019)]

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)  サリンジャー生誕100年で、映画『ライ麦畑の反逆児/ひとりぼっちのサリンジャー』も公開されるようです。大昔読んだ『ライ麦畑でつかまえて』を引っ張り出してきました。野崎孝訳の1964年白水社版です。1951年のアメリカ初版ですからずいぶん昔の小説です。私が読んだのは19歳の頃ですが、最近の若者はサリンジャーを読むのでしょうか?。

 ペンシルバニアの(名門)私立高校生、16歳のホールデン・コールフィールドのクリスマスも近い土日の2日間の物語です。

もし君が、この話をほんとに聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、僕のチャチな幼年時代がどんな具合だったとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたか、とかなんとか、そんな《デーヴィッド・カッパーフィールド》式のくだんない話から聞きたがるかもしれないけれどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。

と16歳の砕けた会話体で始まり、読者は、ホールデンのとりとめのない饒舌に付き合わされることになります。ホールデンの語り口は、訳者解説によると「50年代アメリカのティーン・エイジャーの口調を実に的確に捕らえている」らしいです。

 転校を繰り返し、4校目で単位が足りず退学になる寸前、ホールデンは、退学の手紙が実家に届く前に学校の寮を出て実家のあるニューヨークに向かいます。親の苦情を聞きたくないので家に帰ることもできず、ほとぼりが冷めるまでニューヨークのホテルで過ごすことになります。三人連れの女性とダンスをし、クラブでピアノを聴いて酒をのみ、ホテルのボーイに娼婦を紹介されて童貞を捨て損ない、ガールフレンドを誘い出して演劇を見にて、スケートをして結局は喧嘩別れ。と、この小説にはおよそ物語となるような事件は起きません。ホールデンは自分の感性と現実とのギャップを、インチキ野郎、イカレたトンマ野郎とけなし、とりとめもない饒舌で語るだけです。これを少年のたわごと読むか、ホールデンのたわごとに頷くかが、『ライ麦畑』を楽しめるかどうかの分かれ目でしょう。

 たとえば、欠点を付けた歴史の教師の自宅を訪れ、別れ際に「幸運を祈るよ!」と言われます。何でもない別れの言葉ですが、ホールデンに言わせると(欠点を付けられたからではなく)「ひどい言葉」だということになります。
 「弁論表現法」という科目でも欠点をとっています。この科目はクラス全員が何かを喋り、少しでも本題と無関係な話で脱線すると「脱線!」と怒鳴られるゲームのような授業。「これがどうも頭に来ちゃって、《F》でした、僕は」。そして同じくFになった友人の話を始め、「興奮して喋ってる奴に向かって、《脱線!》ってどなってばかりいたりするのが、僕には不潔に思えるんです」。ホールデンのFは確信犯です。

 君は何もかももうたくさんだっていう気持ちになったことがあるかい?・・・こっちでなんかをやらなければ、何もかもつまんなくなってしまいそうだっていう、そんな不安を感じたことはないかね?、たとえば学校とか、そういったもの、君、好きかい?・・・僕はいやでいやでたまんないんだ。

 ホールデンが退学になったのは、学校と教育に不信感を抱き反発し、何もかもいやになって、勉強もせず単位を落としたからです。ホールデンが反発するのは、既成のモラルや常識そのものです。バカやってんじゃないよ、と別の教師から諭されます。

 未成熟な人間の特徴は、ことにあたって高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、ことにあたって退屈な生を選ぼうとする点にある。

とつまりホールデンは「成熟」を拒否していることになりますが、いつまでも拒否できるものではありません。ホールデンは、家出を決意し、幼い妹フィービーに別れを言いに行きます。ふたりが動物園で回転木馬に乗るシーンです、

 今度は、いっぺん、兄さんも乗ってと、彼女は言った。
 いや、僕はただ、君を見ててあげるよ。僕は見てるだけでいいんだ

 幼いフィービーを見ていることで「成熟」を受け入れます。16歳のホールディングはさすが回転木馬に乗ることができず、できないことことが「成熟」を受け入れることだったわけです。けっきょく家出は中止、実家に戻ることになります。

 退屈な生を選んだオッサンが読んで面白いかというと、どうでしょう。大人と子供の間で揺れる危なっかしさに郷愁を感じ、大人にならざる得なかったホールデンに「ようこそ!」と言う他はありません。次は、同じ頃読んだ『丘の上の悪魔』でも引っ張り出してこようかと思います。

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絵日記 梅 [日記(2019)]

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映画 灼熱の魂(2010加仏) [日記(2019)]

灼熱の魂 [DVD]  原題” Incendies”、火災、業火。監督は『ボーダーライン』『ブレードランナー 2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。レバノンからカナダに移住した姉弟が父親と兄を探すミステリです。ミステリ映画の紹介は、ある程度ネタバレしないと内容が伝えられず過ぎると興を削ぎ、なかなか難しいところです。この『灼熱の魂』は、ドラマの好きな方には面白いはずですから以下は読まずに映画を観ることをお薦めします。

 幕開きの舞台はカナダ、会話はフランス語ですからケベック州です。レバノン人の母親ナワルを亡くした双子の姉弟ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マクシム・ゴーデット)は、公証人から母親の遺言を伝えられます。遺言は、姉には父親を探し当て手紙を渡すこと、弟には兄を探しこれも手紙を渡すこと、棺は不要で、”世の中に背を向けて”裸でうつ伏せに埋め墓石は不要、というもの。さらに、ふたつの封筒が相手に渡った後、三通目の手紙がジャンヌとシモンに渡さ、そののち墓には墓石が建てられ名前が刻まれるだろう、というものです。この不思議な遺言によって、観客はいきなり映画の世界に引き込まれてしまいます。

 ナワルは、レバノンの故郷で難民の男の子(男児)を出産します。遺言にあったジャンヌとシモンのです。家族は子供を孤児院に遣り、ナワルは街(ベイルート?)へ出て叔父の元から大学に通うことになります。1975年に内戦が勃発し大学は閉鎖され、ナワルは孤児院に送られた息子を探して旅にでます。レバノン内戦は、キリスト教右派とイスラム教徒の武力衝突にレバノン国軍が鎮圧に乗り出し、PLO、シリア、イスラエルの周辺国を巻き込む地域戦争へ発展します。この辺りの詳しい説明はありません。『灼熱の魂』の主題は、憎悪が憎悪を生む内戦がナワルとその子供達に及ぼした悲劇を描くことですから、政治的背景はさして重要ではないのでしょう。

 ナワルの息子は内戦の爆撃で生死不明。ナワルは恋人を殺し行方不明となった息子の復讐のため、キリスト教右派(映画では社会民族党、レバノン社会民主党のことか?)と敵対するグループ=イスラム教徒の組織に入ります。ナワルは、キリスト教右派の指導者の家庭にフランス語教師となって入り込み、指導者を暗殺、政治犯収容所に収監されます。レバノン内戦の背景の説明が十分でないため?ですが、ナワルはキリスト教徒、恋人はムスリムであることは確かです。
 ジャンヌは、遺言に従い父親を探すため母親ナワルの足跡を追ってレバノンに向かいます。収容所の元監視を探し当て収容所でのナワルが明らかになります。ナワルは収容者番号72番で通称”歌う女”と呼ばれ、あらゆる拷問に耐え抜いた囚人だったのです。ナワルを歌えなくするために、収容所はアブ・タレクという拷問人を使い彼女を痛めつけレイプし、ナワルは身籠り出産します。ナワルの産んだ子供の消息を追って、子供を取り上げた看護師を探し出しま、元看護師の証言によって、子供が双子だったことが明らかになります。ジャンヌの探す父親とは拷問人アブ・タレクだったわけです。

 兄を探すことに消極的なシモンは、ジャンヌを連れ戻すために公証人とともにレバノンに向かいます。公証人はレバノンの同業者を通じ父親と兄の探索を依頼し、孤児院を破壊したイスラム組織の指導者を突き止めます。指導者は孤児達を連れ去り自軍の兵士として訓練し、その中にナワルの息子ニハド・ド・メがいたこと、息子は優秀な狙撃手となり今も生きていることを証言します。

 ジャンヌは父親の名を、サイモンは兄の名を突き止めふたりの生存が明らかとなり、ここから『灼熱の魂』の本当のミステリが始まります...、ネタバレ無しです。

 好き嫌いはあると思いますが、お薦めです。

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:ルブナ・アザバル メリッサ・デゾルモー=プーラン マクシム・ゴーデット レミ・ジラール

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司馬遼太郎 翔ぶが如く(7) [日記(2019)]

新装版 翔ぶが如く (7) (文春文庫) 新装版 翔ぶが如く (8) (文春文庫)
【高瀬の戦】
 薩軍は、熊本城に一隊を残し小倉を目指し、植木、木葉、高瀬で政府軍と遭遇します。特に高瀬の開戦は、植木、木葉が小競り合いだったのに比べ、薩軍の主力が初めて政府軍と激突します。

 27日、高瀬に進出した政府軍4000に対し、薩軍は2800を3軍に分け、正面を篠原国幹、別府晋介、北から菊池川を渡り桐野利秋、南から村田新八が迎え撃ちます。桐野、篠原、別府、村田と薩軍の中枢が参戦し、東上への一歩となるはずだった高瀬の開戦は、西南戦争を左右する戦闘だったと言えます。この重要な戦いで薩軍は敗北します。正面の篠原隊は弾切れを起こして退却し、そのため桐野も村田も退却します。

【田原坂の戦】
 高瀬で破れた薩軍は田原坂(村田新八大隊、別府晋介郷士隊)が、吉次越(篠原国幹大隊と熊本隊)、山鹿(桐野大隊)に保塁を築いて政府軍と対峙します。田原坂は、政府軍にとって大砲を引っ張って熊本城に入る唯一の道であり、薩軍、政府軍の生命線とも言うべきこの坂を巡って激闘がおこなわれます。田原坂は両側が谷となった尾根道で、薩軍はこの斜面に保塁を築き、政府軍は谷から攻め上るため不利となります。
 田原坂の戦闘は3月4日に始まり20日の薩軍の撤退で終わり、死者は3500にのぼります。局地に激しい銃撃戦が展開されたため、田原坂からは、敵味方の弾が空中で衝突した「行きあい弾」と言われる銃弾が発掘され、激闘がうかがわれます。銃弾の不足する薩軍は「斬りこみ隊」による白兵戦を展開します。示現流の叫喚のもと白刃で突撃してくる薩摩兵児の凄まじさに、鎮台兵は怯えたようです。

政府軍が大兵を投入して一塁を抜くと、死を決した薩軍が 搏撃 につぐ搏撃でもってこれを血しぶきの中で奪いかえし、奪うとすぐ塁の中の敵味方の死体をほうり出してこれに 拠った。そういう状況が各戦域で繰りかえされ、双方にとって戦局の前途など予測もつかぬありさまであった。

 田原坂の戦いでは、坂路を上から見おろすことができる横平山の争奪戦がもっとも激しく、政府軍は横平山を占領し山上から田原坂を砲撃し、これが勝敗を決定します。
田原坂.jpg
【抜刀隊】
 政府軍は、「斬りこみ隊」に対して100人余の警察官からなる「抜刀隊」で対抗します。警察官は、西郷が送り込んだ薩摩郷士を中心に、奥州諸藩出身者なかでも会津藩人が多く、いずれも戊辰戦争では賊軍の汚名を着せられた士族です。大警視・川路利良は、薩摩郷士の城下士への屈折した恨み、会津人が持つ薩人への怨恨を利用したわけです。川路の奸計?が奏功し、「抜刀隊」は多くが斬り死にするという凄まじさで田原坂の戦況を左右する活躍を見せます。従軍記者福地源一郎(桜痴)、犬養毅が抜刀隊の戦闘を観戦し、「会津士族の警察官は鬼のような勢いで薩塁にとびこんでゆき、「戊辰の 復讐、戊辰の復讐」と叫びつつ薩人を斬りたおし」と犬飼は書き送っています。抜刀隊の主力は薩摩郷士ですから、抜刀隊は薩摩人同士が相争うという西南戦争の本質を象徴しているようです。
 大警視・川路利良は、実に9,000の警察官を動員し自らも臨時の少将として出陣しています。川路のほか、政府軍には川村純義、黒田清隆、大山巌、野津鎮雄、高島鞆之助、伊東祐麿などの薩人が。政府要人から前線で刃を振るう兵士まで、薩摩士族が合い争ったことになります。

 余談ですが、浅田次郎『一刀斎夢録』で、新撰組の斎藤一が維新後警察官となり「抜刀隊」として西南戦争で戦います。この小説で西南戦争は、西郷と大久保が仕掛けた第二の維新ということになっています。西郷は、維新の新体制は戦いの焦土のなかから生まれると考えていました。西南戦争の後明治維新は第二期に入りますから、「第二の維新」と言えなくもないです。

 田原坂、吉次越,山鹿の戦いで薩軍は破れ、敗走が始まります。

タグ:読書
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