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図書館 [日記(2018)]

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 最近の読書はもっぱら図書館に頼っています。当然ですが、人気の本は予約が集中して待たされます。『ヒロシマ・モナムール』や『リスボンへの夜行列車』のような誰も読みそうもない本は、申込みの翌日には「ご用意できました」となりますが、『十五の夏(上)』は3ヶ月近く待たされました。この上下巻別れている本の予約はクセもの。同時に予約すると下巻が先に到着し、予約時期を間違うと下巻は上巻読了後1ヶ月待たされることになります。下巻を待てずkindleで注文してしまいます。
 直木賞の『銀河鉄道の父』に至っては申込みが遅かったので待ち順150位、『ベルリンは晴れているか』は49位。到着まで「積ん読」本を読みながら気長に待つしかありません。

タグ:読書
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山田洋次 民子三部作 [日記(2018)]

 山田洋次には、倍賞千恵子を主人公とした「民子三部作」、『家族』(1970)、『故郷』(1972)、『遙かなる山の呼び声』(1980)があります。『家族』『故郷』は、高度成長が歪を露呈しだした1970年代はじめに故郷を追われる家族の物語です。『遙かなる』は、『家族』の移住先、北海道中標津町の牧場を舞台にした和製『シェーン』です。いずれもヒロインの名が民子、演じるのが倍賞千恵子という以上のつながりはありません。1977年の『幸福の黄色いハンカチ』は、『遙かなる』の後日譚とも言うべきものでしょう。
あの頃映画 「家族」 [DVD]

 風見精一(井川比佐志)は炭鉱の島、長崎県・伊王島での生活に見切りをつけ、酪農をするため妻民子(倍賞千恵子)、ふたりの子供、父源蔵(笠智衆)の一家5人で「新天地」北海道・中標津町を目指します。文字通り日本列島を西の端から東の果てまで日本列島を縦断するロードムービーです。一家で「新天地」を目指すロードムービーというと『怒りの葡萄』を連想しますが、『家族』にはこの映画の影響が濃厚です。
 『怒りの葡萄』は、故郷を捨て「乳と蜜の流れる約束の地」カリフォルニアを目指しますが、故郷を捨てた原因は1929年に始まる大不況です。風見一家を故郷を捨てさせたものは、地方に押し寄せる高度成長の波です。公開の1970年は大阪万博の年です。一家は旅の途中万博を垣間見ます。日本中が高度成長に浮かれ騒ぐ時、山田洋次はその陰で1970年版「出エジプト記」を作ったことになります。
 『怒りの葡萄』のラストで、一家を率いる長男ジョードは労働運動を目指し家族の元を離れます。父親と長女の死という大きな犠牲を払って北海道に着いた風見一家は、子牛の誕生に出会い、民子は新しい命を妊ります。わずか30年で、「出エジプト記」の映画はこうも違ってくるわけです。
あの頃映画 「故郷」 [DVD]

 山田洋次は、『家族』で描ききれなかったもの、高度成長の波が地方に及び故郷を捨てる過程を『故郷』で描きます。瀬戸内海の小島(広島県・倉橋島)で、20トンの石船で妻民子とともに石の運搬をする精一が、大型船の効率、経済性に押され、石船の仕事を捨て、尾道のドッグで働くため故郷を捨てる物語です。『家族』では、父親の笠智衆は中標津に着いてすぐ亡くなりますが、『故郷』では、家族に捨てられひとり島に残ることになります。
 精一は、時代の流れだ、大きいものには勝てないと言われ、石舟を廃業するわけですが、その「時代」と「大きいもの」は何なんだオレには分からないと呟きます。「時代」は「故郷」と「家族」を押し流して行きます。
あの頃映画 「遙かなる山の呼び声」 [DVD]

 『遙かなる』は『家族』『故郷』とは別の、高倉健の映画です。舞台は『家族』で一家がたどり着いた北海道・中標津。精一は小さな牧場を立ち上げ、精一が亡くなった後民子は幼い武志(吉岡秀隆)と牧場を切り盛りしています。その牧場に流れ者・耕作(高倉健)が現れ、民子を助け武志を父性でつつみます。つまり西部劇の『シェーン』、または、組長を殺されひとりで組を守る姉さんに助太刀をする花田秀次郎(昭和残侠伝)の世界です。

 殺人犯の耕作は捕まり列車で護送されますが、その車中で、民子は乗客のハナ肇との会話で耕作が出所するまで「待っている」と伝えます。その「待っている」を耕作の側から描いたのが『幸福の黄色いハンカチ』ということになります。

 今観るとそれほど感心する映画ではありませんが、1970,1972年に、家族と故郷の崩壊を描いたことは特筆に値しそうです。

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庭の紅葉 [日記(2018)]

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11月下旬               12月10日
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こっちは大威徳寺(11月下旬)

タグ:絵日記
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マルグリット・デュラス ヒロシマ・モナムール(2014 河出書房新社) [日記(2018)]

ヒロシマ・モナムール  映画『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』の脚本を担当したマルグリット・デュラス(小説家)による、脚本、シノプス(あらすじ)と「補遺」を集めたものです。映画公開の翌1960年に出版され、著者生誕100年を記念した新訳として2014年に出版されたようです。
 本編の脚本は仏語の翻訳ですから、映画の字幕より詳しく、ト書きがシーンを補完しますから、「なるほど」ということになります。「補遺」は、「できあがった映画の映像についてコメントするかのような具合にやってみて」と監督アラン・レネの要請に基づいて書かれたものだそうです(撮影前に)。アラン・レネには彼なりの解釈があるでしょうが、脚本家デュラスが構想した(イメージした)『ヒロシマ・モナムール』を見てとることができます。
 
【シノプス】・・・主題について
映画の最初のセリフは

 君はヒロシマで何も見なかった(男)
 わたしはすべてを見た、すべてを(女)
 
 ふたりの最初のやりとりは・・・寓意的なものとなるだろう、それは要するに、オペラのやりとりとなるだろう。ヒロシマについて語ることは不可能だ。できることはただひとつ、ヒロシマについてついて語ることの不可能性について語ることである。ヒロシマを理解することはのっけから、人間精神が陥る典型的なまやかしとして、ここに定立される。
 
 君はヒロシマで何も見なかったと繰り返す男の言葉には、ヒロシマを理解する(語る)ことは人が陥る典型的な「まやかし」だ、という意味が込められています。この時点で男は女の戦争体験を知りません。女のわたしはすべてを見た(理解することが出来た)と言う言葉の背景には、彼女のヌヴェールの戦争体験があります。
 オペラのやりとりとは、この映画の男女の会話のトーンのことです。セリフそのものが、会話とは異なる朗読に近いものとなっています。この朗読調の会話、モノローグは、男と女の睦言を超えた映画の主題を暗示しています。
 女のわたしはすべてを見た(理解することが出来た)と言う言葉とともに、原爆の惨禍が延々と映し出されます。デュラスは、これを空っぽのモニュメントといいます。原爆の惨禍を伝えるニュース映画や原爆資料館の陳列物をいくら並べても、何らヒロシマを語ったことにはならない、ヒロシマを理解したことにはならない。デュラスはヒロシマを語るために、ヌヴェールでドイツ兵の恋人を殺され、敵を恋したため見せしめに丸刈りにされ故郷を追われた女を登場させます。この戦争体験を持つ女がヒロシマで男と出逢いつかの間の恋に陥る物語で、ヒロシマを語ろうとします。女の体験は個人的な体験であり20万人が犠牲となったヒロシマの惨禍と比ぶべくもありませんが、集団が個々で成り立っている以上両者は等価だということでしょう(これは、文学(映画)が成り立つ「何か」です)。ヌヴェールの戦争体験を持つ女がヒロシマで男と出逢うことで、
 ヒ・ロ・シ・マ、それがあなたの名 (女)
 そして、きみの名は、ヌヴェール (男)
というラストの会話へ収斂し、時空を超えてヒロシマは(ヌヴェールと)ともに分かち合う土地となります。
 ふたりの情事が映し出され、その背と腕に(エロスとタナトスが一体となったように)原爆の灰が降りかかります。一瞬で街と人間と人間の営みを消し去ったこの恐怖を、
 
 この恐ろしさを灰のなかから甦らせるのだ、それも恐ろしさをひとつの愛のなかなかに刻みこむことによっ甦らせるとしたら、その愛は必然的に異例なもの、そして《驚嘆させる》ものとなるだろう。このような愛は信じるに足るものとなるだろう、仮に愛の舞台が世界のどこか別のところ、死が時の腐食作用を停止させなかった場所であると想定してみればよい。
 
 戦争の恐怖を愛とともに蘇らせる、デュラスはこれが『ヒロシマ・モナムール』の主題のひとつだと言います。
 
【ト書き】・・・描写について
 男(岡田英次)が撮影現場で女(アニュエル・リヴァ)に再開し、明日帰国するという女を引き止めるシーンです。
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 男はゆっくりとした仕草で、看護婦のスカーフを取り去ろうとする。・・・男の仕草は、余裕たっぷりで、明確な意図が込められている。冒頭の場面と同じエロスの衝撃を、観る者が覚えるように。女の姿が映し出されるが、昨夜のベッド場面と同じく、髪が乱れている。そして女は、されるがままに男がスカーフを取り去るのを待っている。昨夜、されるがままに愛の仕草を受け容れたに違いないと思わせるようなやり方で。(ここで男に、エロス的な意味での機能的役割を与えること)・・・
 
 という演技指導が行われ、岡田英次はエロス的な意味での機能的役割を演技したわけです。きみを見るとすごく愛したくなるんだというセリフと、その次のシーンで男が女の髪を咬み女が男の指を噛むような仕草をすることで、ふたりの愛欲は観客に伝わってきます。映画の1シーン1シーンは意味を持って作られ、観客はそれを理解するこを求められていますが、ほとんどその意味を理解せず流しているのが現状です。これを理解させることが優れた映画の条件なのでしょう。
 
【補遺】・・・プロファイルについて
日本人の男の肖像
 男が日本人であるために惹かれたという誤解を避けるために、敢えて《バタ臭い》容姿の俳優が選ばれたようです。
 
 彼はこれまでの人生で《ごまかし》などはやったことがない。そんなことはやる必要もなかった。生活することにいつでも興味を覚えていた、十二分に興味を覚えていたから、自分の背後に青春の悩みを《引きずる》必要などないというたぐいの男である。
 
青春の悩みを《引きずる》という文言は、女のヌヴェールでの思い出と相対しているのかどうかは分かりません。このプロフィールは俳優に伝えられていた筈であり、そうした男として演技したとすれば、俳優とはなかなか高度で知的な職業と言わねばなりません。
 
フランス人の女の肖像
 この女の場合、愛によって魂の惑乱に投げ込まれ、他の女たちより大胆に深みにはまりこむ。他の女たちにくらべ、いっそう《愛そのものを愛おしく思う》ためである。
 愛のために死ねないことを彼女は知っている。それまでの人生で、愛のために死ぬという、この上なく麗しい機会をもったことはある。彼女はヌヴェールで死ななかった。それ以来、そして今日ヒロシマで、この日本人に出逢うまで、自分の運命を決する唯一の機会にについて執行猶予を与えられた者に特有の《魂の漠たる憂愁》を抱えこみ、自分とともに引きずってた。
 
というプロフィールが与えられます。
 
 この失われた(死の)機会について物語を語ることにより、彼女は文字通り自分の外に連れ出される、そして新しい男のほうへと運ばれる。
 身も魂もゆだねるとは、そういうことだ。
 愛による肉体の所有にとどまらず、婚姻にも匹敵する価値がそこにある。
 彼女はこの日本人にーヒロシマにおいてー自分にとっていちばん貴重なものを、・・・ヌヴェールにおける愛の死に生き残ってしまったみずからの生を、ゆだねているのである。
 
 『ヒロシマ・モナムール』は、反戦映画ではなく、《魂の漠たる憂愁》をヒロシマで解き放つフランス人の女の物語であることが分かります。その場所がヒロシマであったこと、憂愁の源がヌヴェールで愛のために死ねなかったこと、という意味では人間の奥深いところに戦争が与える傷の解放の物語、反戦の物語だとも言えます。
 
 脚本というものを初めて読みましたが、なかなか興味深いものがあります。ただ、映画を観ただけでここまで読むのは至難の技です。


タグ:読書
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映画 her/世界でひとつの彼女(2013米) [日記(2018)]

her/世界でひとつの彼女 [DVD]  原題は”her”、これだけでは何のことか?なので「世界でひとつの彼女」と注釈がつくわけですが、これだと安手のラブストーリーだと思ってしまいます。監督が『マルコビッチの穴』のスパイク・ジョーンズですから、ひとヒネリあります。herとは人工知能の女性で、人工知能と人間のラブストーリーです。

 『ブレードランナー』にはレイチェル、『ブレードランナー2046』にはジョイ、『エクス・マキナ』ではエヴァが登場し、いずれも実体を持った(ジョイはイリュージョン)目に見えるものが恋の対象となりますが、『her』では、人工知能を持ったコンピューターOSが対象となります。windowsやmacOSが人格を持ったようなものです。『her』は音声で人間とコミュニケーションするOSとして登場します。

 セオドア(ホアキン・フェニックス)はパソコンにこのOS入れます。端末のカメラが眼となり、イアフォンが音声インタフェースとなり、人工知能サマンサはセオドアと会話することで学習してゆきます。サマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが演じ、ハスキーですからなかなか魅力的。サマンサはセオドアと会話することで成長するわけですから、セオドアの思考を汲んだ理想の女性となります。妻とは離婚協議中で別居中のセオドアは、この声だけの女性サマンサに恋をします。映画を見ていると疑問に思いませんが、これって相当ヘン、相当アブナイと思いませんか?。サマンサもセオドアを受け入れるわけです。恋愛そのものが何の根拠も実態もない妄想、幻想だとするなら、人間とプログラムの恋はあり得ます。
 セオドアはサマンサと海辺にでかけます。イアフォンと端末を持ってひとりで出かけるわけです。普通のカップルであれば、ふたり並んで写真を撮りますが、実体のないプログラムとのツーショットは無理。サマンサはどうしたかと言うと、浜辺の情景とそこにいるセオドアと自分を音楽にします。作曲もできるわけです。

 双方の思いが募って、TEL sexとなります。スカーレット・ヨハンソンが身悶えるわけですから、声だけにしても見ている方はそれなりに楽しめます(笑。TEL sexで満足できなくなったサマンサは、ふたりの関係を知った女性をセオドアの部屋に派遣します。セオドアは例の如くイアフォンを付け、女性の方はサマンサに通じるカメラとイアフォンを付けてことに及びます。人間とプログラムの恋の究極形!、と思ったのですが、セオドアは挫折。つまり、サマンサではない女性を現実に眼にして、彼女をサマンサだと感じることができなかったわけです。

 ネットワークに繋がっているいるらしく、亡くなった高名な物理学者を植え付けたAIと繋がるなど、サマンサは知識を吸収してどんどん進化します。突然サマンサと繋がらなくなりセオドアは狼狽します。これはOSのアップデートで一時的にネットワークが切れたらしい、笑わせてくれます。
 コンピューターはマルチタスクの機能を持っています。セオドアがこの件をサマンサに質すと、彼女が付き合っている人間は8000人を越え、600人と恋愛関係にあることが明らかになります。恋愛は1対1で独占の関係にありますから、サマンサは600人の男と浮気!。セオドアはショックを受けます。

 やがて破局が訪れます。サマンサたち人工知能のOSは、連れだって処かへ旅立つというのです。プログラムはハードウェアに格納されている筈です。そのハードウェアを離れていったい何処へ行こうというのか?、雲(cloud)の上か?。
 サマンサは去り、セオドアは人間の世界に戻ります。

 これ、コメディなのかラブストーリーなのか迷います。人間とプログラムが恋をするというとんでもない話、スパイク・ジョーンズならではの作品です。オススメ。


監督:スパイク・ジョーンズ
出演:ホアキン・フェニックス エイミー・アダムス ルーニー・マーラ オリヴィア・ワイルド スカーレット・ヨハンソン(声)

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映画 二十四時間の情事(1959仏日)  [日記(2018)]

二十四時間の情事 ヒロシマ・モナムール アラン・レネ HDマスター [DVD]  原題、”Hiroshima mon amour”、『ヒロシマ・モナムール』。広島に「平和」に関する映画撮影に来たフランスの女優と日本人男性の24時間の恋を描いています。原爆が背景にありますから反戦映画と見るか、それともラブストーリーと見るかです。”Hiroshima”を取るか”mon amour”を取るかですが、じつは分かちがたく結びついています。


君はヒロシマで何も見なかった(男)
全てを見た、病院へ行った、資料館に4回行った(女)

と男女の会話と女のモノローグにのせて、情事の映像(手と背中だけ)と原爆のニュース映像が交互に映し出されます。映画撮影で広島を訪れた女優と日本人男性が恋に落ち情事に発展したようです。いきずりの恋です。女は明日帰国するため、ふたりに残された時間は24時間、これが邦題の由縁です。
 ふたりの出会いも、名前も明らかにされません。名前が無いことも、この映画の企みです。ヒロシマ1.jpg ヒロシマ2.jpg
 冒頭の男女の会話がこの映画で重要な意味を持ちます。会話はほとんど女のモノローグで、彼女はニュース映像や資料館の原爆の惨状を語り出します。

 (原爆投下後)二週間後、広島は花に覆われた、焼け跡から花が咲く (女)
 それは作り話(男)

それは記憶の美化だと男は言います。

 愛の中にもそんな幻想はある
 決して忘れないという幻想
 ヒロシマを前に 忘れないという幻想を抱いた
 愛の幻想と同じ

 あなたのように私も忘却を知っている(女)
 君は忘却を知らない(男)
 私にも記憶がある 忘却も知っている(女)
 君に記憶はない(男)
 あなたと同じように 私も全力で忘却と闘った
 あなたと同じ 私も忘れた
 私も癒やされぬ記憶を持ちたかった 影と石の記憶を
 私も全力で闘った
 なぜわすれてはならないかを 見失う怖さを相手に
 あなたと同じ 私も忘れた
 記憶が要るのは当然なのに なぜ否定するの?(女)

 男が記憶を失ったという発言はありませんから、「あなた」とは男ではなく擬人化された「ヒロシマ」ではないかと思われます。ヒロシマの記憶とは、ニュース映像であり、原爆ドーム、資料館に残された原爆の資料です。戦争が終わって14年の1959年、ヒロシマは原爆の記憶は風化し、女もまた「全力で忘却と闘った」記憶が風化したということの様です。
 話はヒロシマの原爆から「記憶の忘却(風化)」に、女の「癒やされぬ記憶」に移ります。「愛の幻想」という言葉が出てきますから、愛に関わる記憶なのでしょう。

 女の記憶が徐々に明らかになります。女はヌヴェール(仏エニーヴル県)で育ち、18歳の時ドイツ兵と恋に落ちます。ヴィシー政権下でナチス・ドイツがフランスを占領していた頃です。20歳の時、それはフランスがドイツから解放される時、ドイツ兵と女は駆け落ちを約束し、待ち合わせの場所でドイツ兵は村人に殺されます。敵兵と関係を持った女は村人の制裁を受け、髪を切られ丸坊主にされます。これが女の記憶です。
 女は「全力で忘却と闘った」にもかかわらず、記憶は忘却の淵に沈みつつある。原爆の記憶の風化と自分の愛の記憶の風化を重ね、ヒロシマで男と出会い、男の中にドイツ兵を見つけ行きずりの恋に落ちます。

 ラストの男と女の会話、

 あなたの名はヒロシマ(女)
 君の名はヌヴェール(男) ・・・FIN

 ヒロシマとフランスのヌヴェールが繋がり、時空を越えてふたつの記憶が出会う物語です。これが男と女に名前が与えられずアノニマスであった理由です。『夜と霧』のアラン・レネが描いたもうひとつの「戦争」です。

監督:アラン・レネ
脚本:マルグリット・デュラス
出演:エマニュエル・リヴァ 岡田英次

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絵日記 久々に自転車 大威徳寺の紅葉 [日記(2018)]

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 大威徳寺(岸和田)の紅葉を見に行ってきました。自転車で自宅から17kmほどですが、300mまで登るのはキツいです(もちろん帰りは楽ちん)。今回も、地図ロイドで”ルート作成”して臨んだので迷うこと無く、久々にサイクリングを楽しみました。サイクリング用のアプリはいろいろあるようですが、山歩き兼用の地図ロイドがスグレモノです。
 坂を下る爽快さを体験すると、また何処かへ行きたくなります。
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タグ:自転車
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映画 緑の光線(1986仏) [日記(2018)]

緑の光線 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]  原題、”Le Rayon Vert”。パリの若い女性のヴァカンスの顛末を描いています。というか、若い女性がペチャクチャお喋りする映画です。ほんとうによく喋ります。

【バカンス】
 デルフィーヌ(マリー・リヴィエール)は、間際になって友人からギリシアへのヴァカンス旅行を断られます。フランス人にとっては「人間が生きていくため必要なもの」だそうですから、1ヶ月もあるバカンスをパリで暮らすなどとんでもない話。特に若い男女にとっては、バカンスは”aventure”に他なちません。デルフィーヌがピアリッツで出会うスェーデン娘などはその典型で、男との出会いを求めてフランス、スペインを旅行しています。恋人と別れたデルフィーヌのバカンスの目的もそれに他なりません。恋人と別れて2年、この夏もまたひとりかと思うとため息が出るわけです。
 一人で旅行するのは嫌、団体旅行も嫌、でも男とは出会いたいと逡巡するデルフィーヌは、友人に「白馬に乗った王子様の出現を待つか、行動するか?」と言われていしまいます。

【シェルブール】
 友人の一人が、デルフィーヌをシェルブールの別荘に誘ってくれます。友人の家族に囲まれてそれなりのヴァカンスなのですが、一人で海で泳ぎ、食事では菜食主義だと肉料理を断り、ヨットに誘われても酔うからと断ります。
 君に何か言うと 返事はいつもこうだ
 興味ないわ やめておく
と家族は評します。男が声を掛けてきますが、何だかんだ言って一歩が踏み出せず、ヴァカンスを楽しめないデルフィーヌはパリに戻ります。

【ビアリッツ】
 パリに帰っても孤独。元恋人の滞在する山岳地帯(アルプス?)に向かいますが、再開をためらい会わずにパリに戻り、友人の誘いでビアリッツに向かいます。ホテルの一室でひとり食事を摂り、砂浜でひとり日光浴。
 浜辺でスェーデン娘と出会います。彼女は男との出会いを求め(男をヒッカケに)ひとりでフランス、スペインを旅行しています。デルフィーヌは、
 私には何もない 何かあればとっくに恋人はできている
 取り柄があれば 人も寄ってくる 恋人に捨てられたのも 自分のせい
 誰も近づいてこないのは 私に何の価値もないから
と涙を流す始末。恋人とは、別れた、振ったから捨てられたに変化していますから、これがデルフィーヌの本音でしょう。スェーデン娘はデルフィーヌのために男をひっかけますが、臆病な彼女はホテルに逃げ帰ります。一歩が踏み出せない、冒険が出来ない。臆病というよりも、自意識過剰でしょう、それは。

 ピアリッツで、道端のオバサンたちの会話から「緑の光線の」の意味が明らかにされます。「緑の光線」は、太陽が沈む時に見られる珍しい現象で、それを見た人は幸福になれるという言われているそうです。

【リュズ】
 パリに帰るために駅で列車を待っていると、デルフィーヌが読んでいたドフトエフスキーの『白痴』が契機となって(そんな本読んでるから恋ができない?)、ひとりの青年と知り合います。ここまで来ると、デルフィーヌも自分の性格に嫌気がさしていたのかもしれません。青年はリュズに帰るところで、いい街だからとを誘います。デルフィーヌはついに一歩を踏み出します。ふたりはリュズで降り、岬に行って「緑の光線」を見るわけです。
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 これだけの話です。男に臆病な娘がシェルブール、アルプス、ピアリッツと放浪し、リュズで恋に出会った「かもしれない」という話で、その後どうなったのかは描かれません。キャサリン・ヘプバーンの『旅情(1955)』を連想します。面白いかというと、デルフィーヌに感情移入できるかどうかでしょうね。スレッカラシのオジサンには、小娘がゴタクを並べている?、という感想です。エリック・ロメール66歳の作品だということには脱帽します。私がタイトルをつけるとすれば、『見るまえに跳べ』(大江 健三郎)ですね。

監督:エリック・ロメール
出演:マリー・リヴィエール

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映画 いとこ同志(1959仏) [日記(2018)]

いとこ同志 クロード・シャブロル監督 Blu-ray  原題、”Les Cousins”、邦題はそのまま「いとこ同士(志)」。生い立ちも性格も異なる従兄弟同士シャルル(ジェラール・ブラン)と ポール(ジャン=クロード・ブリアリ)の物語です。
 シャルルは大学に入学し、従兄弟ポールのアパートに同居することになります。前途洋々たる新入生の生活が始まる冒頭のBGMはまるで葬送曲のようで、この映画の結末を暗示しているかのようです。

いとこ同士
 ポールは広いフラットに住みスポーツカーを乗り回しすいう裕福な学生。ポールの子供を身ごもったという女性が現れますから女性関係も派手。連日パーティを開いて騒ぎ、遊び回っています。四畳半の下宿と60年安保という当時の日本の学生とは雲泥の差です。
 一方のシャルルは、地方からパリに出て来て裕福な従兄弟のフラットに間借りしますから、こちらは普通の学生。母親の期待に答えるため真面目に大学に通い、故郷に手紙を書き、愛読書はバルザック。自分の学生時代を振り返るとシャルルの方に感情移入しますね。
フロランス
 シャルルがフロランス(フローレンス、ジュリエット・メニエル)に一目惚れしたことから、ストーリーは動き出します。フロランスはポールのパーティの常連ですから、彼同様勉強より遊びが優先の学生。都会の洗練されたフロランスは、この地方から出てきた真面目なシャルルに興味を懐きます。これを聞いたポールの友人はフロランス言います、
大勢の男と寝ていて 童貞相手に処女気取りか
清純なフリで騙すのはよせ 寝るか関わらないかだ
 けっきょくフロランスはポールと関係を持ち、この事実を告げられたシャルルは、
恨んだりしない 順番を待つよ

何だそれは!。フロランスはポールのフラットで暮らし、フロランス、ポール、シャルル3人の奇妙な共同生活が始まります。
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アリとキリギリス
 学生ですから試験があります。資格試験なのか進級試験なのかよく分かりませんが、シャルルはこの試験のため一生懸命勉強してきたわけです。試験をひかえ、シャルルは試験勉強を勧めますが、ポールは
勉強が足りないぶんは 俺の巧妙なやり方で補える
おれはここぞというときの勝ち方を知っている
とうそぶくのみ。
 周囲は、シャルルは合格するだろうが、遊び呆けてきたポールは落第すると見ています。ところがポールは合格(詰まりは不正を働いた)。ポールの合格を祝ってドンチャン騒ぎのため、翌日の試験(シャルルの試験はポールより1日遅い)に備えて最後の追い込みが出来ずシャルルは不合格。

 「アリとキリギリス」の寓話を真逆でゆく結末に疑問をいだいたシャルルは、壁に掛かっている拳銃に1発だけ弾を込め眠っているポールにロシアンルーレット。弾は発射されずセーフ。ここまで来ると結末は想像がつきます。翌朝、ポールはソファーに放置された拳銃を手に取り、シャルルに向けて戯れに引き金を引きます。弾は発射されシャルルは死にます。

 ヌーベルバーグ版「アリとキリギリス」の映画です。

監督:クロード・シャブロル
出演:ジェラール・ブラン ポール:ジャン=クロード・ブリアリ ジュリエット・メニエル

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