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モルガン・スポルテス ゾルゲ 破滅のフーガ(2) [日記(2019)]

ゾルゲ 破滅のフーガ 続きです。
 ゾルゲの活動は、逮捕後の『調書』と『獄中記』でほぼ明らかで、事件の登場人物も尾崎秀実、宮城与徳、クラウゼン、ヴーケリッチ等々お馴染みの面々です。本書は「ゾルゲ事件」のドキュメントではなく小説ですから、一連の事実のなかに何を見つけるかがテーマとなります。作者がゾルゲのなかに発見したものは「破滅のフーガ」。フーガは「遁走曲」ですから、破滅へ向かって遁走するゾルゲを描いたことになります。ゾルゲは何から逃げていたのか?。遁走の果てが何故「破滅」だったのか?。

 ゾルゲは第一次世界対戦に志願し、西部戦線で2度にわたって負傷していますから、勇敢で愛国的な青年だったはずです。その青年が、入院中に看護師の感化で共産主義の洗礼を受けドイツ共産党に入り、コミンテルンを経て赤軍参謀本部第4局(諜報)のスパイとなります。第一次世界大戦の激戦地、西部戦線で戦ったゾルゲは、戦争の悲惨さを身をもって知ったはずです。ロシア革命、ドイツ革命の時代ですから、多感な青年がコミュニストになっても不思議ではありません。
 ゾルゲは、コミンテルンで情報収集と分析の能力を認められ、赤軍の諜報員として上海、さらに東京でスパイ活動に従事します。本書で描かれるには、バルバロッサ作戦、日本の南進作戦をすっぱ抜く諜報活動よりも、諜報活動のためにナチスに入党し、ドイツ大使や武官を手玉にとる裏切、それによって精神のバランスを失ってゆくスパイの姿であり、高邁な理想を掲げる共産主義に裏切られたひとりの理想主義者の姿です。

 本書は、理想に裏切られたゾルゲがオートバイでアメリカ大使館の壁に激突する「自殺」(1938)から幕が開きます。

 ゾルゲが希望を託したソ連は、共産主義の理想とは裏腹に党中央では苛烈な権力闘争があり、キーロフ暗殺(1934)に始まる大粛清(1936)、トゥハチェフスキー、ブハーリンが粛清され、粛清はコミンテルンの外国人共産主義者へも及びます。ゾルゲにも召還命令が出ますが帰れば粛清が待っているという状況下で、世界革命を目指したコミュニストは、政治の世界に絶望していたと想像されます。
 ファシズム(ヒトラー)も共産主義(スターリン)も、一党独裁で人間性を抹殺することにおいては同質というわけです。リュシコフの様に亡命(1938)しなかったのか?。ゾルゲはファシズム、共産主義同様資本主義も信用していなかったのでしょう。ソ連の体制に愛想をつかしながら、なぜソ連のために独ソ戦の勝利に貢献する諜報活動をしたのか?。ロシアはゾルゲの母親の故国であり、妻カーチャがモスクワにいたことも要因でしょうが、自ら述べているように諜報という仕事がゾルゲの体質に合っていたこと、あるいはゾルゲは何処かで人類が平等で平和に暮らせる世界を信じていたのかも知れません。当面の敵であるヒトラーを倒すためにスターリンに味方した、というこでしょう。

 ただし、ゾルゲこの思いとソ連の判断は別です。バルバロッサ作戦(1941)を知らせた電文の返答はつれないもの、”貴殿の情報に関して、我々はその信憑性を疑っている”。タス通信は、独ソ不可侵条約のもとでドイツの侵攻はあり得ずドイツ軍の東方移動は演習であると、公式にバルバロッサ作戦を否定します。ソ連大使館の連絡員の反応はさらに冷ややか

ラムゼイ同志(ゾルゲの暗号名)、ソヴィエト参謀本部内に警告が流れた、このような雑音、このような愚かな情報に耳を貸す者は、銃殺刑に処されることになる。西でウィンストン・チャーチル相手に失敗しているというのに、東方で第二の戦線を開くほどヒトラーが狂っていると、スターリンに思わせたのかかね!・・・ここ東京で、色々とあなたについてのことを聞いている、ラムゼイ同志、放埒なあなたの生活についてだ。バーや淫売窟に行く回数をもう少し減らしたらどうかな? この意見は、わたしが言っているのではない。上から、モスクワの、最上層部のその上からだ。

 これがソ連参謀本部のゾルゲ評価です。アイノ・クーシネンによると、バルバロッサ作戦の情報に接したスターリンは、ゾルゲを「日本のちっぽけな工場や女郎屋で情報を仕入れているくそたれ野郎」と、こき下ろしたということです。
 ドイツ侵攻は、ゾルゲ以外、ソ連の諜報機関も警告していますが、スターリンはこれを西側の謀略だと考えて動かなったわけです。これに懲りたのかどうかスターリンは、尾崎秀実が掴んだ1941年9月の「帝国国策遂行要領」情報を信用し、独ソ戦で勝利します。
 ソ連がゾルゲを評価し「ソ連邦英雄」としてその功績を讃え1964年のことです。

タグ:読書 ゾルゲ
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