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毛利敏彦 明治六年政変(1979中公新書) (2) [日記(2019)]

明治六年政変 (中公新書 (561))続きです。
朝鮮問題
 幕府の朝鮮外交は対馬藩を通じて行われていました。新政府の誕生によりこれが外務省の管轄に変わり、対馬藩の「草梁倭館」を「大日本公館」として外務省の管轄下におきます。これが朝鮮(李氏朝鮮)を刺激し、外務省の文書に宗主国・清を指す「皇」や「勅」の文字があったこともあり(日本は思い上がっている!)、朝鮮は貿易活動を制限し公館への生活物資の供給を止め、「無法之国」と非難する事態に至ります。朱子学の伝統でしょうか、いずれにしろ、現在に至るまでかの国と付き合うことは難しいようです。
 朝鮮問題が留守政府の閣議に上り、「討つべし」という意見が出て西郷が手を挙げます。戦争を避けるため自分を「遣韓使」として派遣せよということです。8/17の閣議で西郷の韓国派遣が決定されます。

 西郷が板垣に送った手紙に、遣韓使として韓国に渡り殺されれば開戦の口実となる(使節暴殺論)、是非渡韓させてほしいという文言から、西郷は征韓論者であり死場所を求めていたという説があります。この「使節暴殺論」は西郷が板垣に送った手紙にしか現れず、征韓強行派の板垣を西郷遣韓に賛成させるための方便ではないかというのが著者の見解です。参議のメンバーは、西郷、大隈、大木、江藤、板垣、後藤で、佐賀閥の大隈、大木、江藤は同じ佐賀閥の外務卿で対清外交で手腕を発揮した副島種臣を遣韓使に推すと考えられ、西郷は板垣を味方に率いれようとしたわけです。西郷の目的は征韓ではなくあいくまで遣韓、戦争を避け平和裡に解決を図ろうとします。西郷は、幕末維新の動乱期に革命家、軍事指導者として活躍しますが、第一次長州征伐、江戸無血開城など、実力闘争に訴えるよりも交渉によって対立を平和的に解決に導こうとした傾向があります。したがって、西郷=征韓論という従来の構図は成り立たないというのが著者の主張です。
 西郷は何故朝鮮との修好にかくもこだわったのか。いろいろ理由はあると思いますが、師である島津斉彬の、ロシアの南下に備えるとい外交戦略が視野に入っていたことが考えられます。

伊藤博文の暗躍
 一足早く帰国した木戸は、一連の長州閥の汚職問題、特に槇村正直の小野組転籍事件など司法省の強権に手を焼いています。岩倉とともに帰国したは伊藤は、親分の木戸を助け旅行中に大久保近づいたため不仲となった木戸との仲を修復するため陰で動きます。

かれ(伊藤)の戦略とは、個々の事件にこだわるよりも大局に立ち、岩倉を軸に木戸と大久保とを和解、協力させて陣営を固め、他方では西郷と江藤とを切り離し、江藤を孤立させて叩くというものであったと思われる。

 何の成果も出せなかった使節団の失地回復と、留守中に権力を増大させた留守政府、特に司法省の江藤からの権力奪還を狙ったというのが著者の考えです。大久保を参議にし木戸とともに閣議に復帰させたい三条の人事に加担します。
 岩倉が帰国しても閣議は開かれず(朝鮮問題はさしたる重要課題ではなかった)、西郷は三条に噛みつき三条は混乱。伊藤はこの機に乗じます。朝鮮使節問題が戦争に直結すると危機感を煽り、遣韓に反対する三条・岩倉・木戸を焚きつけて新任参議(江藤、大木、後藤)を追い落とし、大久保を参議に復帰させ、井上(尾去沢事件)、牧村(小野組転籍事件)らの救済を目論見ます。

大久保の逆転劇、「一の秘策」
 10/12:大久保、参議に任命、翌日福島参議に任命
 10/14:閣議開催、翌15日西郷派遣を閣議決定
 10/17:大久保辞表提出、三条発病
 10/19:大久保、黒田「一の秘策」相談
 10/20:岩倉、太政大臣代理に就任
 10/23:岩倉上奏、西郷派遣延期を引き出す、西郷辞表
 10/24:板垣ら四参議辞表提出

 14,15日の閣議で西郷派遣は正式決定となり、心労がたたって三条が人事不省に陥り天皇への上奏ができない事態となります。ここで伊藤は次の策に出、18日木戸、大久保と相談のうえ岩倉を太政大臣代理とし逆転を画策。大久保は黒田清輝と「一の秘策」を練り、これも薩摩閥で天皇側近の吉井友実を使って岩倉の太政大臣代理を実現します。岩倉は西郷派遣案と自説の派遣延期案を上奏し、天皇より延期案を引き出し西郷の「遣韓」は潰されます。

大久保を「一の秘策」に駆り立てたのは、俺がつくった政権を遅れてきた徒輩におめおめ渡してなるものかという執念だったといえよう。もはや、大久保にとっては、朝鮮使節の是非などは枝葉の問題だったにちがいない。大久保が政権争奪の敵手とみなしたのは、「ことに副島氏、板垣氏断然決定の趣にて」と日記に書き留めた両人であり、さらに閣議でかれの議論に致命的な一撃を加えた江藤新平だったであろう。とくに、実践家大久保は、自分とは異質な江藤の論理的・組織的な卓越した才能に絶大な脅威を感じたのではなかろうか。ここに、かれは、「丁卯の冬」(王政復古のクーデタ)の同志西郷を巻き添えにしてでも、反対派の一層を決意したものと思われる。

 著者は、大久保は内治優先の政策論「征韓論」を阻止したのではなく、「明治六年政変」は、血なまぐさい闘争と謀略のもとで作った維新政府が、後からやってきて権力を貪る江藤や副島、板垣を追い落とすクーデタだとします。こうした想いが、「佐賀の乱」を起こした江藤の苛烈な処分( 梟首)となって表れたのかもしれません。政変後、桐野利秋ら西郷派の陸軍士官、板垣系の官吏は辞職し、土肥勢力は後退、薩長中心の「有司専制」の大久保時代が出現します。

 書簡、回想録を手掛かりに、通説を覆し歴史の闇に潜む伊藤の暗躍を炙り出すあたりは、ミステリより面白いです。
征韓論年表2.jpg

タグ:読書
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